在日本韓国YMCA連続講座Cut'n'Mix

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Cut'n'Mix第3期「韓国併合」100年/「在日」100年を越えて
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  • 10/30(土)18:30-20:30、5月より延期となっていた米谷匡史(思想史)「大阪朝鮮詩人集団のサークル文化運動 ――詩誌『ヂンダレ』と「流民の記憶」」を開講します。
  • <2010/10/26>第3期の記録をアップしました。

第7回 7/24(土)
崔真碩(朝鮮文学)
「李箱 生誕100年」 



李箱(イ・サン)という朝鮮のモダニストをご存知ですか? 1910年8月20日(陰暦)に京城で生まれ、37年4月17日に東京で死んだモダニズム文学者のことを。今年、李箱は生誕100年を迎えます。韓国併合の年に生まれ、朝鮮総督府に勤務した経歴を持ち、そして最期は朝鮮人であるゆえに東京で客死した、李箱とはまさに、運命のように植民地状況を生き、夭折した文学者です。作品の朗読を交えながら李箱の文学と生涯に触れ、私たちのこの100年を文学的に問いたいと思います。

1973年生まれ。訳者/役者・広島大学教員。朝鮮文学の翻訳者。テント芝居「野戦之月海筆子(ヤセンノツキハイビィーツ)」の役者。訳者で役者、役者で訳者。編訳書に『李箱 作品集成』(作品社)。共著に『異郷の日本語』(社会評論社)、『残傷の音』(岩波書店)等。
出演作に『ヤポニア
歌仔戯(オペレッタ) 棄民サルプリ』(2009年11月東京)等。



講座の記録


高橋梓(実行委員)

 今年2010年は韓国「併合」100年の年として、日本と朝鮮半島の歴史をあつかった学術シンポジウム、雑誌・新聞・テレビの特集を目にすることが多く、この連続講座もそういった節目を意識して企画された。この「100年」が節目として注目を集めるのは、東アジアの歴史への関心が高まることになるため重要なことであると思う。しかし、同時に帝国日本の植民地主義を100年前の出来事としてしか考えないようになってしまう危険性もあるのではないだろうか。私たちはこの「100年」から何を学ぶべきなのだろうか。今回の連続講座最終回では併合の年に生まれ今年生誕100年を迎えた朝鮮人モダニスト作家李箱の生涯と作品をたどることを通して、近代と植民地主義がどのように結びついたかをたどっていった。朝鮮を代表するモダニスト作家ある李箱は、韓国の権威ある李箱文学賞(1977年)としてその業績が讃えられた「国民作家」であるが、韓国併合の年に生まれ、朝鮮総督府に勤務し、晩年東京に渡り「不逞鮮人」として日本警察に検挙・拘束の末、持病の結核が悪化し東京で夭折した李箱の生涯は「運命のように植民地的状況を生き」たものとして、この100年を考えるにあたり注目すべきである。案内人は、『李箱作品集成』(2006年、作品社)を編訳し長年李箱の作品研究に取り組まれている崔真碩さん。今回をもって第3期Cut’n’Mixは幕を閉じたが、「100年」から学ぶべきものを考えさせてくれる締めくくりに相応しい回になったと思う。
 李箱の作品はそのモダニズム的性格によって当時理解者は非常に少なかったが、その作品はまさに「箱」のような「独自の芸術世界」に植民地朝鮮の「近代」体験を読み取ることができると崔真碩さんは言った。京城で総督府の職員として働いていた李箱は、総督府の機関誌に日本語の詩を発表することで創作活動を始めた。それは、資本主義の浸透を通して京城が文化政治の下で近代化されながら日本化される様を目撃するという、李箱の近代を体験であった。作品には「キリンビール」「タンゴドーラン」「ミツコシ」など京城の近代化と、それを経験する朝鮮人(消費活動)が描かれた。そして李箱が近代化した文化を描くと同時に、その中で頽廃(代表的な作品「翼」のヒモとして生き妻の職業すら知らない無性格の主人公「僕」)を描いたのは、人々がいかに無意識に近代を消費し頽廃したか、つまりいかに植民地主義が近代を通して浸透したかを示しているといえる。李箱の作品は同時代に理解者が少なかったが、それは同時代性を表していた「独自の芸術世界」であったといえる。
 さらに李箱が創作に混乱と葛藤を抱えていたところに、朝鮮人が受ける植民地近代の暴力を読み取ることができる。倦怠という言葉一つ取ってみても、誰よりも上手く多様な使い方をした李箱。しかし、李箱は自身を19世紀と20世紀の「びっこ」であるという意識を持っていた。これは朝鮮が急速な近代化を遂げたことによって起きた混乱であったといえる。また結核の悪化の中、李箱は晩年東京行きを決意する(1936年10月)。しかし、現実には思い描いていた東京(丸ビルは想像していた四分の一の高さしかなかった)とのギャップに失望し「発狂」しそうになる。しかし東京に失望したなら京城が東京に勝ったと考えられないだろうか?それなのになぜ李箱は発狂したのか?-ここに李箱のモダニズムの崩壊があると崔さんは言う。この失望、発狂を経験した後、李箱は1年4ヶ月前に訪れた平安南道成川の農村風景を想起している(「倦怠」1936.12.19)。その文章は、近代から遮断された人々に対する差別的な眼差し(倦怠)で構成されている。それは近代を経験しながらも、田舎の人々と自分が変わらないものであるということへの恐れである。結果的に李箱は「不逞鮮人」として名指され、捕まった。李箱の混乱、モダニズムの崩壊は、近代化、植民地主義の中で朝鮮人が受ける近代の暴力の予感(「ウシロカラササレル」)のあらわれであったという。
 崔真碩さんは、そのような李箱を襲った力は100年前のことではなく、「100年前は今」だと主張した。今日の私たちもやはり、近代の光と影の中にある。アメリカの文化(ジーンズなど)に憧れ消費する一方で、米軍再編の中にある(沖縄の問題)今の私たち。そのような状況に対し、李箱が襲われた力を想像すると同時に、朝鮮人という「失われた名前」を取り戻す運動が必要だと崔さんは強く主張した。「朝鮮」「朝鮮人」という言葉は「拉致」「北朝鮮」のイメージにつながる政治性を含んだ言葉であり、そのため在日朝鮮人を示す場合「在日コリアン」という表現が多くされているのが現状だ。それはただ「朝鮮」という表現のほうが正しいという主張ではない。「コリアン」とすることで朝鮮人の歴史は想像できない(李箱は「朝鮮人(チョソンサラム)」である)、未来の統一朝鮮のために「チョソンサラム」という「失われた名前」を取り戻すべきだというのが崔さんの主張である。
 今回の連続講座では、植民地状況を通して名前を変え独自の文化を発展させていった人々の歴史をたどってきた。在日朝鮮人、そしてロシアの「高麗人(コリョサラム)」。アイデンティティや文化を、祖国といった根源的なルーツrootsに固定すると、彼らは互いに切れた存在である。しかし、移民や離散、移動のプロセス、経路というルーツroutsとして表現しようとする実践が、この連続講座の「切れてつながる試み」だとCut’n’mixを始めた洪貴義は言った。「チョソンサラム」という言葉は、名前を変えてきた人々に共通する近代、植民地主義の暴力を想起させる。私たちは「100年」から学ぶべきことは、当時の言葉からそういった近代の二面性(資本主義、植民地主義)を想像し、そこを生きてきた/生きていく私たちの道を考えることではないだろうか。李箱の言葉に触れながら、この講座の終りそのようなことを考えた。


参加者の感想
○「李箱」の作品は惹かれたものもあるが理解できない面も多く手にとりにくかったのですが生きた時代背景を詳しく説明していただき少し身近になりました。
○朗読もあり、又非常に深く迫ってくる内容で聞きごたえ充分でした!
○提言に同感しました。
○私にとっては全く未知の存在でしたが本日の講演で日本人の自分にとっても重要な意味をもつ文学者だと感じました。彼のとらえた、資本主義~近代の暴力性というテーマは、カフカなどにも通ずる普遍性をもつものだと思います。その深みへ彼が日本語/朝鮮語をどのように駆使(その相剋を含めて)して達して行ったのか、今後彼の作品を読んで考えてみたいと思います。「朝鮮人」「조선사람(チョソンサラム)」ということばをとりもどしたい、という提言に身がひきしまる思いがしました。
○李箱という人に興味を持つことができた。
○面白かった。またやってもらいたい崔真碩先生に。
○今、現代語学塾の中級クラス(韓国語)で、李清俊の短編小説「이상한 선물」(おかしな贈り物)を読んでいます。時代は少し違いますが、朝鮮文学、非常に興味深かったです。植民地性近代の中で表現された李箱の問い続け―日本におけるアメリカナイゼーション―とのつながり、また彼自身の心の闇等、読んでみたい作品です。崔真碩さんの語りがとてもわかりやすかったです。
○李箱の感じた東京の空気は今の空気と同じだ、ということは強く感じさせられました。‘過去の人’とのみ思っていた認識を大きく揺さぶられ本日のお話を聞くことができて本当によかった!!
○李箱という一人の作家の葛藤を通じて、「近代」を読む、として刺激的でした。李箱が感じた近代日本で感じたウシロカラササレルの現在性を考える必要性を感じました。悪化しているように見える、日本社会の内実を問うていきたいと思います。
○李箱も何も知らなくてただお話を聞きました。朝鮮語の話のことを知りたいと思います。今日ご紹介された李箱の話は谷川俊太郎のようですね。
○時代が戦争に進んで行ったことと、どの様に絡んでいるのか、考えながら聞いていました。日本語で書いたのは、現在では英語で書く様なものだろうか。上京して得られたものと、失ったものは何か?

5/7 (金)
洪貴義(政治学、思想史)「在日の過去と未来の間」
5/15(土)
挽地康彦(社会学、移民研究)「大村収容所の社会史」


6/4(金)
金貴粉(国立ハンセン病資料館学芸員)「解放後における在日朝鮮人ハンセン病患者と出入国管理体制」
6/5(土)
講師:五十嵐泰正
上野フィールドワーク-上野の山と街を歩く
6/18(金)
鄭栄桓(在日朝鮮人運動史)「朝鮮『解放』と在日朝鮮人の法的地位」
7/17(土)姜信子(作家)
「われらの記憶、もしくは空白  ~語りえぬ記憶の接続法~ 」
7/24(土)崔真碩(朝鮮文学)
「李箱 生誕100年」
 
10/30(土)米谷匡史(思想史)
「大阪朝鮮詩人集団のサークル文化運動 ――詩誌『ヂンダレ』と「流民の記憶」」