在日本韓国YMCA連続講座Cut'n'Mix

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Cut'n'Mix第3期「韓国併合」100年/「在日」100年を越えて
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  • 10/30(土)18:30-20:30、5月より延期となっていた米谷匡史(思想史)「大阪朝鮮詩人集団のサークル文化運動 ――詩誌『ヂンダレ』と「流民の記憶」」を開講します。
  • <2010/10/26>第3期の記録をアップしました。

第1回 5/7 (金)
洪貴義(政治学、思想史)
「在日の過去と未来の間」


韓国併合と在日史の100周年という画期的な2010年は、しかし和解といいうる状況からはほど遠く、これまで以上に閉塞した困難な事態に立ち至っている。この現実から今何をどう考えたらよいのだろうか。思想史を振り返りながら問いを掘り進めてみたい。

1965年生まれ。政治学・思想史専攻。共著に『マイノリティは創造する』(せりか書房)『ポスト・コロニアリズム』(作品社)『ディアスポラから世界を読む』(明石書店)等。法政大学非常勤講師、等。

再び、切れてつながる試みへ

連続講座Cut'n'Mix第3期「韓国併合」100年/「在日」100年を超えて 始まる

第1回 洪貴義(政治学、思想史)「在日の過去と未来の間」

金耿昊(実行委員)

 Cut and Mix 第三期連続講座がはじまった。「「韓国併合」100年/「在日」100年を越えて」のテーマの下に、在日コリアンのさまざまな歴史をふりかえり、これからやるべきことを考えていこうとする試みである。

 第一回となる今回は、洪貴義さんに「在日の過去と未来の間」という題で講演していただいた。洪貴義さんは第一期・第二期Cut and Mixのコーディネーターでもあって、その経験をふまえ、現在の在日コリアンの状況をどのように見つめておられるのかを語られた。洪さんはまずみずからの生まれ育ちのなかで、民族意識について「奥手」であった経験を語りつつ、日本において世代を重ね続けている在日コリアンにとって、その一人ひとりの「アイデンティティ」のありかたと名前・文化・言語・国籍などの「帰属」とのあいだに、微妙でしかし膨大な「ズレと不透明さ」が横たわっていることを指摘された。

 日本人のようでいて、日本人ではなく、朝鮮人であるといってもそれを証明する何かがあるわけでもない。そのようなアイデンティティと帰属のあいだの「ズレと不透明さ」について、在日コリアンの側は常に説明責任をおわされ続けてきた。しかしそれを生みだしてきたのは誰であったのか。洪さんによれば、1945年の参政権停止、1947年の外国人登録令、1952年の日本国籍剥奪・出入国管理令の適用などの日本の行政・制度上の排除が、在日コリアンの「ズレと不透明さ」を助長したのであり、その責任は国家・政府の側にこそあるという。この点は基本的な部分でありながら、地方参政権反対論や「在日特権」論者などがいつも目をつぶる部分であり、繰り返し確認されるべきであるだろう。

 だがその一方で、この「ズレと不透明さ」は現実にいやおうなく抱え込まされているものであった。そのなかで、在日コリアンはあるときには朝鮮半島につながりをもつ「国民」あるいは「民族」をもとめ、またあるときには定住化しつつある「市民」としての権利をもとめもした。しかし90年代から現在にかけては「拡散化」しているという。

 「民族」にも「市民」にもあてはまらない「ズレと不透明さ」の拡大は、在日コリアンを「ブラックボックス」(文京洙)とも「蓄積の不在」(李順愛)ともいわれる曖昧模糊とした状況においているというのである。だがしかし、洪さんの発想はここで転換する。「ズレと不透明性」をそのまま受け入れればいいのではないかと。このような状況にこそ「きれてつながる」妙味があるというのだ。ユダヤ系の思想家・知識人の語る言葉が、一見それとは無縁のようなものでありながら、読者にはそのディアスポラ性を喚起させてしまうような部分を紹介しながら、いっけん「在日」や「民族」の言説とはかけ離れているようで、実はつながっているその部分を大切にしていきたい。Cut and Mixという問題提起には、そのような思いがこめられていたことは、第三期の始まりとして、とても良いものであったといえるだろう。

 最後に、Cut and Mixの提起するイメージとしてシェーンベルグの『管弦楽のための変奏曲』が流された。倍音の調性をあえて外し、不協和音をもくみあわせて編み上げられたその曲は、きしみや衝突をつつみかくさずさらけだすようなものとして、私たちの耳をさかなでた。きれながら、つながっている。つながっていながら、きれている。この講座を予定調和的には終わらせてはならないな。そういう思いながら聞きました。

参加者の感想

(掲載にあたり一部抜粋させていただきました)

想像していたよりも話が難しく感じたが“Cut’n’mix”というもとで様々な面から在日を考えていくことに対して新鮮さを感じた。自身としては音楽などに置き換えて考えたことがなかったので、新しい発見ができた。もっと政治的な話題で詳しく聞けたらよかったなと思いました。「在日」としての今後の課題だったり現状だったりに対しての、洪先生の意見をもっと聞けたらよりよかったです。

“在日”のあり方(不透明さ)とヨーロッパのユダヤ系の思想家たちとのアナロジーがとても刺激的で触発されました。

2時間では足りなかったと思う。今の在日の世代の意識というものは、一世の人とかと比べてどの程度民族意識が違うのかに興味がある。

私自身在日ではなく、大学に入ってから初めて在日の友達と出会い関心を持つようになったのですが、今回の講演を聞いて改めて“在日コリアン”のアイデンティティの難しさを感じました。歴史や哲学的認識などの難しいことは私にはまだまだ分からないことが多いですが、“日本人”というアイデンティティを疑うことなく育ってきた私にとって、それが決して当たり前のことではないということを気づかせてくれた“在日コリアン”の存在は、大きく、刺激となっています。歴史的事実も含め、これからさらに在日について知りたいと思いました。

私が“在日朝鮮人”という存在を知ったのは、アルバイト先で数人の在日朝鮮人に出会ったからです。そこで、ふと、中高通った学校のすぐ隣に朝鮮学校があったことを思い出しました。しかし、そのときは日本の学校とはほとんど変わらない校風、雰囲気を感じていました。在日朝鮮人と出会い、仲良くなり、いろんな話しを聞きました。もともと異文化、多分かに興味があったので、その聞いたことを親(私の)に話しました。その数日後に「北朝鮮、朝鮮人は危ないから気をつけなさい」と言われ、どうして?これは人種、民族の差別では?と疑問・興味を持ちました。



5/7 (金)
洪貴義(政治学、思想史)「在日の過去と未来の間」
5/15(土)
挽地康彦(社会学、移民研究)「大村収容所の社会史」


6/4(金)
金貴粉(国立ハンセン病資料館学芸員)「解放後における在日朝鮮人ハンセン病患者と出入国管理体制」
6/5(土)
講師:五十嵐泰正
上野フィールドワーク−上野の山と街を歩く
6/18(金)
鄭栄桓(在日朝鮮人運動史)「朝鮮『解放』と在日朝鮮人の法的地位」
7/17(土)姜信子(作家)
「われらの記憶、もしくは空白  〜語りえぬ記憶の接続法〜 」
7/24(土)崔真碩(朝鮮文学)
「李箱 生誕100年」
 
10/30(土)米谷匡史(思想史)
「大阪朝鮮詩人集団のサークル文化運動 ――詩誌『ヂンダレ』と「流民の記憶」」