在日本韓国YMCA連続講座Cut'n'Mix

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お知らせ
  • 10/30(土)18:30-20:30、5月より延期となっていた米谷匡史(思想史)「大阪朝鮮詩人集団のサークル文化運動 ――詩誌『ヂンダレ』と「流民の記憶」」を開講します。
  • <2010/10/26>第3期の記録をアップしました。

第6回 7/17(土)
姜信子(作家)
「われらの記憶、もしくは空白  〜語りえぬ記憶の接続法〜 」







七月十七日は、YMCAの一室に集まったみなさんと旅に出る。そう目論んでいます。 
 出発地は韓国のハンセン病の島・小鹿(ソロク)島、終着地は済州島。途中、さまざまな島々を巡り歩きます。私はそのツアコンです。
 島々とは、たとえて言うなら、「ここにいても、ここにいない」人々の島々。もちろん、いわゆる「在日」も、良くも悪くも「ここにいても、ここにいない」存在。そういう認識を持つツアコンとして、中央アジア、ロシアのコリアン・ディアスポラの島々にもみなさんを案内する、そこに生きる人々の声に耳を傾ける、その記憶に触れる、そんな旅を考えています。二時間で島々の百年の記憶を駆け抜ける旅。ただし、成り行きで旅の道筋は、多少変わることもあるかもしれません。
 この旅の裏テーマは、ちょっと堅苦しく、またかなり青くさい言葉ではありますが、「アイデンティティ」。それは、ツアコン本人にとっても実に切実な問いでありつづけたものであり、島々の記憶をいかに語り継いでいくかということにも、深い関係を持つものです。だから、裏の奥のテーマが、「記憶の接続法」。
 旅には歌がつきもの、詩がつきもの、小説の話も飛び出してくるかもしれません。
 ただ、なにしろ、二時間で百年ですから、なんとかみなさんと問いを共有できるところまでたどりつければ、そして、そこから、みなさんそれぞれの旅がはじまることになればと考えています。

1961年横浜生まれ。作家。恵泉女学園大学客員教授。著書に『ごく普通の在日韓国人』(朝日新聞社)、『棄郷ノート』(作品社)、『安住しない私たちの文化』(晶文社)、『追放の高麗人』(石風社)、『ノレ・ノスタルギーヤ』『イリオモテ』(岩波書店)等。


講座の記録


徐宝覧(実行委員)

1. 誰のための「天国」なのか?
ここに、韓国の政治・社会のメカニズムと対決する人間を描く小説家李清俊(イ・チョンジュン)の「あなたたちの天国」という作品がある。ハンセン病患者が集まっている小鹿島(ソロクト)を舞台に、院長と患者の「支配と服従」を描いた作品である。支配する側は、支配される側に「あなたたちの天国」を作りなさいと言った。その関係は、実際に起きた小鹿島更生園(現ハンセン病療養所)周防正季院長が「朝鮮ハンセン病者の帝国」を作ろうとし、そして患者に殺害されたという関係性を想い起こさせる。つまり「天国」を支配される側に内面化させることによって「支配と服従」の関係が生まれたのである。
しかし、そこに作られようとしているのは、一体誰のための「天国」なのだろうか。このような関係性は、韓国軍事政権下の権力者と国民の関係、さらには植民地期の日本と朝鮮の関係も想起させる。親日派文学家で名高い李光洙も、民族詩人で名高い韓龍雲も「支配と服従」にとらわれていた。支配される者が支配する者の思考を内面化していく密閉された空間で支配する者が謳いあげるような「天国」は果たして作りうるのだろうか。「支配と服従」の関係性に知らず知らずのまれている私たちは、それをいかにして乗り越えることができるのだろうか、という問いと共に島々をめぐる旅が始まった。

2.「天然の美」の旅
日本の「天然の美」が遠い中央アジアのウズベキスタンで「コリョサラム」(独立国家共同体(CIS)に暮らす朝鮮半島にルーツを持つ人々)によって歌われていた。歌詞は朝鮮語で内容は故国を思う歌詞だったが、「天然の美」で間違いなかった。コリョサラムとは、19世紀半ばから朝鮮半島を襲った早魃、飢餓を逃れロシアの沿海州に流入した朝鮮半島北部の流民たちで、1937年スターリンの命により中央アジアへ強制移住させられた人々のことである。彼らは「コボンジル」(ソビエト体制下で請負契約を結び、農地を借り、農地の脇に仮住居を建て、現地に暮らしながら営農する体系)で農業のプロ集団として定着した。農業で成功した彼らは「都市化」、「ロシア化」されていって、「ユーラシア韓人」としての新しい文化を創造している。彼らが歌っていた故国は未来に存在しているのではないだろうか。
次の「天然の美」はロシアのロストフにあった。南ロシア・ロストフ州はソ連崩壊後の混乱の中コリョサラムたちが移動した(第三次移住)場所の一つである。彼女たちはチマチョゴリを着て歓迎してくれて、頑張って歌ってくれたが歌は何の歌か分からないほどだった。それは「記憶を聞かせてください」という我々の要望に彼らは記憶を演じているのではないだろうか。
記憶は全部語れるものではない。語ることができない悲惨な記憶があるからだ。ロストフにはサハリンで生まれて育った朝鮮人移住者もいた。彼らは日本語を話して、日本語の歌を歌った。彼らは自分の人生を「よくはなかったけど、悪くもなかったよ」と淡々と話す。彼らに何を求めたらいいのか。彼らの物語はだれのための物語なのか。軽々しく勝手に彼らの記憶を語っている我々は、あの「あなたたちの天国」の「天国」を作ってあげると言った人物と変わらないのではないだろうか。我々は彼らの記憶を語っていいのだろうか。

3.「空白」という「共同性」
 韓国の済州島(チェジュド)には朝鮮人が朝鮮人を殺した「4.3事件」(1948年4月3日-1954年)の記憶がある。在日朝鮮人の記憶でもあるこの悲惨な事件の当事者たちはすべてを語ろうとしない。その象徴のように、済州島の平和記念館には何も刻まれていない真っ白な石が「空白」のまま横たわっている。すべての旅から辿り着いたところは記憶ではなく「空白」だった。それは今まで気付かなかった、記憶の「空白」であった。
他人の記憶を共有できるという安易な考えは捨てたほうがいい。みんな「空白」というアイデンティティを持っている。「空白」という「共同性」からはじめなおそう。島々をめぐる旅は、このように締めくくられた。


参加者の感想
○考える参考になりました。コリアンディアスポラを訪れる旅…いろんなことが見えてきますね。追放され、故郷を追われた民(族)が、こんなにいたこと、恥ずかしいけれど知りませんでした。ユダヤ人だけではない、コリアンだけではない、ということを知ったのは、大きな収穫でした。
○文学者としての姜さんのお話しは私にとって大変新しい視点でディアスポラへの問いかけを受けました。ありがとうございました。
○私は、外国籍の人がかかえる悩み苦しみ問題というのに、しんしに向きあったことはありませんでした。また、普段主に関心を持っている社会にある問題もまったく違ったテーマのことです。でも、自分のアイデンティティのこと、自分とは何か?自分の人生とは何か?ということにずっと悩んでました。今でもずっと考え続けています。
○「空白」のアイデンティティという言葉がとても重く感じられ、何を語るべきかわからなくなった。
○“空白でつながる”の言葉の意味を何度も頭で練りましたが分かりませんでした。年を重ねたらこの講座を聞いてみたいです。貴重な体験を聞かせて頂きありがとうございました。
○たいへんたいへんおもしろかったです。かたくるしくないのにとても人の生活の深いところまで感じる旅をしたような感覚です。
○重たい話でした。今すぐに感想を話せそうもありませんが、時間をかけて今日の「旅」を私もたどりなおしてみたいと思います。
○彼女の旅がどう終わるのかドキドキした。チェジュドではなくサイシュウトウとおっしゃるので、考えさせられた。
○映像と音楽で旅ができた。空間を飛べた漢字。勿論難しいですが。。。
○無駄のない語り、まとまった内容、ご自分の目と足と耳で確実にとらえた上での講演。でした。
○はっとさせられることが沢山ありました。どうも有り難うございました。


5/7 (金)
洪貴義(政治学、思想史)「在日の過去と未来の間」
5/15(土)
挽地康彦(社会学、移民研究)「大村収容所の社会史」


6/4(金)
金貴粉(国立ハンセン病資料館学芸員)「解放後における在日朝鮮人ハンセン病患者と出入国管理体制」
6/5(土)
講師:五十嵐泰正
上野フィールドワーク−上野の山と街を歩く
6/18(金)
鄭栄桓(在日朝鮮人運動史)「朝鮮『解放』と在日朝鮮人の法的地位」
7/17(土)姜信子(作家)
「われらの記憶、もしくは空白  〜語りえぬ記憶の接続法〜 」
7/24(土)崔真碩(朝鮮文学)
「李箱 生誕100年」
 
10/30(土)米谷匡史(思想史)
「大阪朝鮮詩人集団のサークル文化運動 ――詩誌『ヂンダレ』と「流民の記憶」」