在日本韓国YMCA連続講座Cut'n'Mix

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Cut'n'Mixとは?
Cut'n'Mix第3期「韓国併合」100年/「在日」100年を越えて
Cut'n'Mix第2期
Cut'n'Mix第1期
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お知らせ
  • 10/30(土)18:30-20:30、5月より延期となっていた米谷匡史(思想史)「大阪朝鮮詩人集団のサークル文化運動 ――詩誌『ヂンダレ』と「流民の記憶」」を開講します。
  • <2010/10/26>第3期の記録をアップしました。
 Cut'n'Mix(Cut and Mix、カットゥンミックス)とは?
 在日韓国人問題研究所(RAIK)と在日本韓国YMCAでは、「コリア・在日・日本」全てを巻き込んで新たな道を切り開く試みとして<連続講座Cut'n'Mix(カットアンドミックス)>を2002年、2006年に開催してきました。

 在日コリアンは何と切れていて、何とつながっているのか。日本人は何と切れていて、何とつながっているのだろう。Cut and Mixはひとつの流行学問の方法論ではなく、すでに1970年代に、在日朝鮮人詩人金時鐘(キム・シジョン)によって言われていた。それは朝鮮半島と切り離されていることこそが在日の在日たるゆえんであり、しかし切れているからこそ、かえってそのまま本国とつながることができるという、在日の逆説的なあり方を表明した言葉だ。
 今、私たちはもう一度「切れてつながる」ことを実践したい。それは、民族とであり、歴史とであり、人権とであり、政治とである。一度切り離すことによってこそ、再度新しく結び合わせることが可能になるだろう。

在日本韓国YMCA「コリア・在日・日本」連続セミナー
Cut'n'Mix第1期
「オープニング講座*上映&ト―ク」における
講座コーディネーターの洪貴義氏の発言より

 サッカーの試合で、HomeとAwayと いう言い方がありますが、在日とはまさに、日常生活そのものがアウェイで試合を行っているようなものではないでしょうか。私はそこから生まれる考えを「ア ウェイの思想」と呼んでみたい。そしてホームではなく、アウェイにいるからこそ、「切れてつながる」実践が生まれてくるのです。「切ってつなげる/切れて つながる=Cut and Mix /Cut‘n’Mix」の意味を、「在日」に即して考えてみると――、

「在日朝鮮人にとって<朝鮮>とは「在日」のことなのだ。「在日」を生きるこ とに、若い在日朝鮮人世代達よ、確信を創りだそう。固有の伝統習慣から切れているからといって、それがただちに負い目となるのではなく、本国にすらないも のを私達が持っているのであり、それが持ちこまれることによって豊かになるべき伝統を、習慣を、はては思想までをも、私達は創り出すべき「在日」のはじま りに据えるとしよう。本国に似せて<朝鮮>に至るのではなく、至り得ない朝鮮を生きて<朝鮮>であるべき自己を創りだそう」(金時鐘『「在日」のはざま で』1976年 平凡社ライブラリー)。


この在日朝鮮人詩人・金時鐘(キム・シジョン)さんの言葉は、イギリスにい るジャマイカ人たちの文化運動とも切り結ぶ。

「英国で生まれ教育を受けた二世たちは、親たちと違って、与えられた下位の社 会的地位と狭い選択を甘んじて受けようとはしなくなり、自分たちの黒さについて、多くの人々が信じている定義を疑わずに放置しておかなくなった。レゲエを 中心にして、そのまわりに、別の文化、別の価値観、別の自己定義が集合した」(ディック・ヘブディジ『サブカルチャー』原書は1979年、翻訳は1986 年、未来社)  

 世界中のアウェイで暮らす「二世」たちが、多様な文化実践を試みはじめたの はまさに世界同時的な出来事でした。そして現在さらに大きく変貌しつつ、「在日を生きる」新世代たちが登場し始めている。私はそこに大きな希望を見ること ができます。個人/家族/地域/社会/国家/北東アジア/世界/地球……それぞれのレベルで、Cut n Mix を考える=行動する。連続講座のさまざまなテーマ自体とも「切れてつながる」ことを実践し、新しい出会い、新しい問いを発見することをめざしたい。この連 続講座そのものがまさにそのようなカットゥンミックスの実践なのです。

(金弘明、洪貴義、佐藤信行編『Cut and Mix通信』第1号、2002年11月9日)