在日本韓国YMCA移住者のリアリティTOP第3期「レイシズムを考える」(2010年4月〜7月)>鵜飼哲



(各時期の講座記録・参加者感想)

(2009年5月〜7月 アンジェロ・イシ×小ヶ谷千穂×五十嵐泰正×森千香子×山本敦久)

(2009年9月〜11月 挽地康彦×稲葉奈々子×高谷幸×鍛治致)

(2010年4月〜7月 辛淑玉×樋口直人×鵜飼哲)

(2010年10月〜12月 李孝徳×木下ちがや×金明秀×安田浩一)



第3回 7/10(土)鵜飼哲(一橋大学大学院教授)
「ナショナリズムとレイシズム」

プロフィール 1955年東京都に生まれる。京都大学大学院文学研究科卒業。フランス文学・思想専攻。現在、一橋大学大学院言語社会研究科教授。著書に『抵抗への招 待』(みすず書房、1997)『償いのアルケオロジー』(河出書房新社、1997)『応答する力』(青土社、2003)『主権のかなたで』(岩波書店、 2008)ほか。訳書にジュネ『恋する虜』(共訳、人文書院、1994)デリダ『他の岬』(共訳、みすず書房、1993)『盲者の記憶』(同、1998) 『友愛のポリティックス』(共訳、みすず書房、2003)『生きることを学ぶ、終に』(みすず書房、2005)『ならず者たち』(共訳、みすず書房、 2009)などがある。

テーマについて レイシズムはナショナリズムの「病気」なのか? ナショナリズムの「健康」「健全」とは何か? ナショナリズムとレイシズムはすっかり重なり合うわけではないが、ナショナリズムはレイシズムを分泌せずにいられない。一方、レイシズムという言葉にも「歴史」がある。この講座ではナショナリズムとレイシズムの内的連関を問うとともに、レイシズムという概念が抱える問題を思想史的に考えてみたい。徳島大学教員。
1969年生まれ、一橋大学大学院を経て現職。著書に『再帰的近代の政治社会学』(ミネルヴァ書房、共編著、2008年)、『国境を越える』(青弓社、共著、2007年)、『顔の見えない定住化』(名古屋大学出版会、共著、2005年)など。

講座の記録 挽地康彦(移住労働者と連帯する全国ネットワーク)

 連続講座「移住者のリアリティ」第V期の締めくくりとなった第3回。今回は一橋大学の鵜飼哲さんをお招きし、「ナショナリズムとレイシズム」というテーマでお話しいただいた。多くの参加者とともに、ナショナリズムとレイシズムの内的連関に鋭く切り込んだ今回。講座の趣旨文には、次のような問いが示されていた。「レイシズムはナショナリズムの「病気」なのか?」「ナショナリズムの「健康」「健全」とは何か?」、と。
 ナショナリズムやレイシズムという言葉は、容易にはその輪郭と意味内容を掴みづらく、そうであるがゆえに漠然とした理解で済ましてしまいがちである。そして何よりも、上記の問いは「ナショナリズムとレイシズム」の間にある<と>が二つの言葉を単なる並列でない形で繋げていることを示唆していた。折しも、2010年サッカーW杯はナショナリズムの祭典として大詰めの段階を迎え、日本社会は心地のよいナショナリズムを前景化し、「病的」なレイシズムを後景化していた。さて、この<と>は現代社会のなかでいかなる役割を果たしているのだろうか。
 鵜飼さんによれば、日本のレイシズムは「分離壁」に象徴されるイスラエルの姿勢と似ている。日本とイスラエルは、共通項として「種族的」(ethnic)なナショナリズム(シュロモー・サンド)の特徴をもち、「壁」の向こう側にいる共同体との非和解をはっきりと主張しているのである。異なるのはイスラエルの「壁」が可視的であるのに対して、日本の「壁」は不可視的であることだ。
 そもそも、国民(nation)と自然(nature)、人種(race)と理性(reason)は、語源をたどれば同じ語句から派生している。この結びつきは、分類する理性に基づいて「壁」が作られ、その内側の集団が自然な共同体として想像されるということを指し示す。ただし、そこで作用するナショナリズムまで自明なわけではない。ナショナリズムはよい/悪い、革命/反動、進歩/保守など「両義的」であり、しかもそれらは歴史のなかでしばしば反転する。
 ナショナリズム論はこれら二項の反転の理由を問う一方で、レイシズム論はこの問題設定で論じきれない「残余」を問うのだという。ここから、鵜飼さんは「ナショナリズムとレイシズムを同一視せず、また「健全な」ナショナリズム/「病気の」レイシズムという俗流二分法を取らず、前者から後者への移行のメカニズムをいかに説明するか」という理論的な課題を提示された。
 この移行のメカニズムを考えるためには、まずナショナリズムが有する「両極性」という性格を理解する必要がある。ナショナリズムの構造には、「両義性」とあわせて、普遍化と特殊化という「両極性」の側面がある。具体的には、普遍化とは「身分制解体、地域差別解消、成員(国民)間の平等」を指向し、特殊化とは「国民確定(外国人排除)や国土画定」、それから「過去の共有(忘却による「国民的記憶」の構築)、現在の共有(税負担、義務教育、兵役)、未来の共有(政治的意志決定への参与)」を指向する。国語の構築は蝶番として普遍化と特殊化を橋渡す。また旗や歌という特殊は、国旗や国歌となることによって普遍と特殊を媒介する装置となる。その意味で、1999年の「国旗・国歌法」の法制化は、「日本のナショナリズムの脱特殊化=再正統化」という歴史的な作用をもたらしたといえる。
 他方、レイシズムの構造は、「不足」するナショナリズムの両極性に関わっている。レイシズムは、普遍化と特殊化それぞれの不足を補いつつ余剰をもたらし、ナショナリズムそれ自体を変質させたりそれに取って代わったりする。国民戦線(フランス)を例にあげると、「なぜレイシストがナショナリストを自称できるのか」という問いが出てくるが、こうした錯綜した事態が起こるのは、「自分たちの活動・主張は不完全なナショナリズムの「正しい」補完」なのだという認識があるからである。
 不足するナショナリズムに憑依しながら、レイシズムはいつでも人間の類型化や集団の差異化にむけて知を欲望する― 優生学や遺伝学はその典型であろう。レイシズムが知を欲望するのは、レイシズムが「「人間とは何か」という問いに強迫的に取り憑かれた思想」だからであり、自分は規範的な人間に当てはまらないのではないかという不安がこの欲望を突き動かしている。レイシズム(人種主義)はヒューマニズム(人間主義)と背反しない。この点を看過して、レイシズムを偏見、無知、神話とみなして普遍的人間主義による啓蒙を対置する(UNESCO声明:1950-1951)、あるいは反ユダヤ主義/植民地主義/ポスト植民地社会の制度的差別を包括的に指示する(国連反人種差別会議:ダーバン2001)、といった人種主義批判の構えをとっても空回りにおわる。UNESCO起源の制度構築されたレイシズムは、社会的実践としてのレイシズムを否定し隠蔽してしまうのだ。
 このような思想史的な観点から日本のレイシズムにメスを入れると、他の地域と歴史的に重なることのない日本特有の姿が浮き彫りになるだろう。昨今の日本社会では、「在留カード」による外国人管理など国家によるレイシズムが不可視的であるのに対して、「日本を日本人に」「日本人差別反対」を声高に叫ぶ排斥運動=民間のレイシズムが可視的になっている。国民国家による保護の脆弱化により、自己の「喪失」を他者の「特権」に転移させる今日のレイシズムの形態は、逆差別を論拠にしながら暴力それ自体を意図的に可視化する。鵜飼さんは、それを欧米の極右とも通ずるポスト植民地期レイシズムの「普遍的」な側面だと指摘する。他方、日本のレイシズムの歴史的・地政学的な「特殊性」は、A「内地延長」型近隣植民地主義とB東アジア冷戦の帰結(「自由」日本の没落/「共産」中国の台頭)が特異な形で連続している点にある。「日本に侵略されたアジア全域の換喩としての「北朝鮮」」に対する攻撃衝動の背後には、勝利したはずのBからAをまるごと正当化しようとする欲望が潜んでいる。
 問題は、ナショナリズムの不十分な普遍化を前にしたとき、そのモメントをどこに求めればよいのかということである。同化は、「いつまでも不足的な、いつでも逆行しうる普遍化」であるがゆえに、レイシズムに行き着いてしまう。ヨーロッパのユダヤ人「問題」やナチズムが教えるように、「同化はレイシズムの「解決」ではなく「問題」の始まり」なのだ。
 鵜飼さんが提起する最終的に目指すべき方向は、<血と大地>の彼方にある市民権の確立であり、そのためには、自然の装いをこらす血統主義や生地主義に基づかない市民権の根拠を発明しなければならない。特殊でも例外でもない、明示的で普遍的な権利としての「歴史による権利」と「労働による権利」はその大いなる根拠となる。旧植民地出身者とその子孫には両者を、「ニューカマー」には後者を。市民権の確立は、まずもって無権利状態に幽閉し搾取する体制を不可能にするところから始めるべきであろう。(終)

参加者の感想
○非正規で働いている人のための入場料も考えて下さいませ!
○ナショナリズム=良い、レイシズム=悪い というような単純な問題ではないことが分かりました。これからもっと調べてみたいと思いました。
○初めて参加させていただきましたが、一つ一つの定義から問題
 多角的なとらえ方を知ることができ充実していました。
○最後の質問と答のやりとりがおもしろかった。よくわかった。
○(少しむずかしかったですが)たいへん興味深いテーマで多くの示唆に富む内容でした。もっと時間をかけてゆっくり考えたい、そしてきちんと行動に移していきたいです。
○初めて参加しました。難しい内容でしたが、わかりやすくお話しいただき、とても勉強になりました。参考文献も多くてありがたかったです。
○興味を持ち、気軽に来たので、やはり難しい面もあったが、とても勉強になり、おもしろかった。じっくり整理して考えたいと思う。
○不勉強なため質問にも出てましたが、感想をかけるほどまだ、理解できていません。はじめ、私はナショナリズムに良いナショナリズムがあると思えない思いましたが、話を聞いていくうちに運動を進めていくうえで良い悪いも含め「普遍的」ナショナリズムについて考え、相対化していく「作業」を自分の中でしていく必要があると思いました。自分の中で「わかる」までにはまだまだ時間がかかりそうです。今日はありがとうございました。
○質問でも触れましたが、ヨーロッパの視点が強過ぎて、途上国を含めた普遍化になっていると思います。東南アジアだけでもかなり異なった面があり、それらを踏まえた議論にして欲しかったと思います。アイヌを含め先住民族の問題も大きなテーマです。モロッコの壁については西サハラに作った「砂の壁」についても言及して欲しかった。人権を「自分の内なるもの」にするためには、どうすべきか?