在日本韓国YMCA移住者のリアリティTOP第3期「レイシズムを考える」(2010年4月〜7月)>辛淑玉 



(各時期の講座記録・参加者感想)

(2009年5月〜7月 アンジェロ・イシ×小ヶ谷千穂×五十嵐泰正×森千香子×山本敦久)

(2009年9月〜11月 挽地康彦×稲葉奈々子×高谷幸×鍛治致)

(2010年4月〜7月 辛淑玉×樋口直人×鵜飼哲)

(2010年10月〜12月 李孝徳×木下ちがや×金明秀×安田浩一)


第1回 4/6(火) 
辛淑玉(人材育成コンサルタント)
「人種主義を考える――体験的“人種差別”考」

プロフィール
東京生まれの在日コリアン三世。小中高と不登校をつづけ、かたわら6歳のときからラベルの糊つけ、ヤクルト配達、新聞配達、皿洗い、パン屋のレジ、焼肉屋、モデル……など、あまたの職業を経験する。26歳のとき人材育成会社、(株) 香科舎設立。研修・講演活動のかたわら、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどで、日本社会/男社会/大人社会の病理を切開し直言する。2005年夏から07年1月まで米国で研究・調査活動。著作として、『悪あがきのすすめ』(岩波新書)、『怒らない人』(角川新書)、野中広務さんとの共著『差別と日本人』(角川新書)など多数。2008年、「被差別日系研究所(マイノリティの風)」を米国、日本、韓国で設立。その呼びかけ文には、こうある。
≪マイノリティの語る言葉は稚拙とされ、体験は思い込みと言われ、声を挙げれば権利ばかり主張してと叩かれます。苦しい生活の中で社会のルールを踏み外せば、更なる制裁が待ち構えています。……かつて定住ベトナム人の友人が、「この国には夢がない」と言って泣きました。アメラジアン二世の友人は、国家の憎しみを背負わされて生きてきました。集団暴行を受けた日系ブラジル人の若者は、「ママ、愛してる」と言って事切れました。だからこそ、私たちは出会いたいと思います。……手を取り合える、その一歩を作り上げたいと思います≫

講座の記録 谷幸(移住労働者と連帯する全国ネットワーク)

 2010年4月6日、連続講座「移住者のリアリティ――レイシズムを考える」の第1回目として、辛淑玉さんによる講演「人種主義を考える――体験的“人種差別”考」が行なわれた。平日の夜にもかかわらず、70名以上が参加し、辛さんの話に熱心に耳を傾けた。
 冒頭、辛さんは「日本生まれの朝鮮人で韓国籍の在日3世。永住権をもっている」と自己紹介した。このように自己紹介をすると、多くの日本人は混乱した顔をするという。日本人がいかに、「生まれた国=国籍=エスニシティ」を自明のものと考えているのかがよくわかる。しかしその辛さんも以前は「新山節子」という名前を使っていた。20歳のとき、本名で生きることを決めたところ、ご両親は「お前は日本のこわさを知らない」と言ったという。実際、本名を名乗るようになった辛さんは、通名を使用していた頃とはまったく異なる扱いを受けるようになった。また今でも、在日というよりも、韓国人というよりも、朝鮮人という方がはるかにひどい扱いを受けるという。しかしだからこそ、本名を名乗り、朝鮮人と自己規定するのだと辛さんはおっしゃった。
 このように辛さんのお話は、ご自身の体験と、そこに端的に現れている日本社会のレイシズムを指摘する形ですすめられた。
 そのなかで今日のレイシズムを考えるきっかけとなる話があった。辛さんによると、2000年代頃から、差別者のあり方が変化したという。もちろんそれ以前から、辛さんが、テレビなどで発言をすると電話やファックスで嫌がらせが相次いでいた。しかしそれは匿名で、在日にたいする差別は、社会の感情のはけ口としてなされているのだなと感じていたという。しかし2000年頃から、そうした嫌がらせの相手は実名を名乗るようになったそうだ。その相手は、専門職や「一流」企業の管理職など、一般に社会的地位が高いと考えられている人が珍しくなく、彼(女)らは、辛さんと対面したさいも、堂々と「外国人には出て行ってほしい」と言うという。この話は、社会の変化、レイシズムの変化を暗示しているように私には思われた。
 最も印象に残ったのは、辛さんの弟の話である。弟は、日本社会で徹底して疎外され、朝鮮学校でもいじめられ、学ぶ機会をもつことができず字を読めなかった。そんな彼が生きていけたのは任侠の世界だけだった。弟が入門したやくざの一門は、親分以外全員が在日で、親分は「お前たちはやくざしかできないからな」とことあるごとに言っていたという。しかし弟は、借金、結婚の破綻・・・その果てに精神を病んでしまった。しかしその弟が、唯一きちんと発言できたのが、見舞いに訪れた子どもにたいする「お前、差別されていないか」という言葉だったという。差別は弟を傷つけ、その存在を「壊し」、それでもなお彼の記憶に沈殿しているのだった。しかし日本社会は、自らが生み出した「逸脱者」に追い打ちをかける。「美しいマイノリティではないとホスト社会は助けてくれない」という辛さんの言葉が、ずっしりと重かった。
 辛さんは「差別はなくならない。どんどん新しいのが出てくる」と、安易な「差別の克服」には懐疑的だった。「抑圧されている者にとって、こみあげる不安がなくなったとき、(例えば)日本名の方がちゃんとやってくれると思ってしまう不安をマイノリティが抱かなくなったとき、信頼しあえる社会ができたといえる」。そのためには、「差別を見抜く力」が必要だという。そしてマイノリティにとっては、「一人にならないことが大事。孤立したら死ぬしかない。だから自分と同じ問題を抱えている人、理解ある人と早くつながることが重要」だとおっしゃった。
 今回の講演は、参加者にも大きなインパクトを残したように思われる。私自身、辛さんのお話を伺って、辛さんは徹底してご自身の体験を噛み締め、それを生み出す社会の闇を見つめ、そして身を切るような行動を通じて、その闇に徹底して対峙しているのだと感じた。また日系ブラジル人の参加者は、辛さんが体験された差別は、今ブラジル人も同様に体験していると語っていた。日本社会の差別の根深さに暗澹とした思いになるが、この状況を少しずつでも変えていくためにも、今、在日コリアンが体験してきた差別、ニューカマーがうけている差別、すなわちこの社会の闇を改めて問い、レイシズムとは何かを根底から考えていくことが必要だと改めて思った。 



○辛さんのお話は都知事の第三国人発言の集会のとき以来だったので、初めは「ずいぶん柔らかくなったな」と思いました。でも、お話を聞いていくにつれて、こんなひどい差別を受けてへこたれない強さって何なのだろうと魅き込まれていきました。なかなかこれだけ強くなれないものだと思いました。だから朝鮮籍・韓国籍を隠して生きている人も多いのだと思います。弟さんの話は聞くのもつらいもので驚きました。野中さんとの対談でも涙で話が途切れたとのことですが、話すのもつらいことだったでしょうのに、よく話してくださいました。 また若い人が「差別なんて全然ない」と言うとのことですが、私もそういう話は聞きます。これをどう考えたらいいのでしょう。(W.Y)
○「なま」のお話、楽しくためになりました。「ため」になる講演はたくさんありますが、楽しく元気の出るお話は少ないと思います。やっぱり楽しくないと続かないと思いました。(W.M)
○パワフルでわかりやすいお話を聞くことが出来て、とても嬉しかったです。 最後のほうにお話しいただいた「差別はなくならないと思うが、差別を見抜く力を身につけること」。私自身がこれまでの体験でなんとなく考えていたこととつながったような気がして、安心したというか間違っていなかったのかなぁと思えました。ありがとうございました。(無記名)
○普段生活している中では、気付かなかったこと、見えなかったことにたくさん気付かされました。こうしたことを、より多くの人に知ってもらうことが大切だと思います。辛さんの勇気に感動しました。(無記名)
○講座の最初に、「朝鮮人にしておくのはもったいない」とよく言われる、とおっしゃっていましたが、私(日本人)は韓国人の友人に「あなたは韓国人みたいだよ」とほめられたことがあります。私が日本人として誇りを持っているように、韓国人も、他の国の人も、自国にidentityをもっています。これは日本人に限らず、世界共通に言えることではないかと思いました。(S.S)

○とても力づけられました。辛さんの存在に勇気づけられるというか、希望を持てるかもしれない気になりました。どのように自分の責任を果たせるのか、考えさせられました。(無記名)
○辛さんの話を久しぶりに聞きましたが、これほどまでの話も久しぶりでした。ありがとうございます。(無記名)
○差別の生み出す難儀の実態を聞かせてもらえて、ありがたかった。(K.N)
○少し前の話とは言え、やはり日本は「差別大国」だったんだと言うことが生々しくよくわかりました。日本人であるということが、あるグループの人達にとってそんなに重要なことなんだということが今さらながらわかった気がします。(F.K)
○来て良かったです、また眼が開かれた気がします。続けて開催してください。(無記名)
○在日の方の生の声が聞けてよかったです。いろいろと学ぶことが出来ました。(無記名)
○辛淑玉さんは、やはり感動する。(O.C)

○在日コリアン三世の辛さんの経験された差別は、想像を超えるひどい差別ばかりだった。知らなかったことが恥ずかしいし、知ったからには学び分かち合わねばと考えます。自分は日本人ですが、できることをしたい。(E.A)
○辛さんのお人柄にふれる機会を得て、うれしく思います。(T.S)
○本気で人生を生きてこられたことを講演の中で具体的に話されていて、とても感心をもちました。(S.H)
○人種差別のことをあらためて考える良き機会となりました。ご自分の体験などを聞かせていただき感謝いたします。(無記名)
○本当に重い問いを突き付けられました。「差別はなくならないと思う」という言葉は、同感です。そして、だからこそ学んでいかないといけない、ということになぜか逆に可能性を感じました。うまく言葉になりませんが、今日は来て本当に良かったです。ありがとうございました。(O.K)
○非常に良かったです。辛淑玉さんが、反石原で頑張っておられたときにその存在を知り、今日、あらためて話を聞くことができました。強そうにみえる辛淑玉さんの、そのお話の裏にある差別にみちた世界がよく見えました。弟さんの話では涙がこらえきれませんでした。(Y.Y)
○朝鮮人で、永住資格があって、韓国籍で、三代目。この感覚は私とまったく同じです。日本人には理解できないかも。(C.J)
○ありがとうございました。自分には覚えのない感情もあれば、自覚のある感情に気づくこともできたような気がします。(無記名)
○辛淑玉さんの話を聴きに来て、本日は幸せでした。また明日、明後日、生きてゆこうと思います。(Y.T)
○スゴちゃんのお話をフルで聞くのは今日で2回目。前回は神保町の本屋で『差別と日本人』だったんだけど、ちょっとすごくない?(H.K)
○明るさ、大変さ等々、本で読むだけでは伝わってこないものがありました。良い経験になりました。(K.M)
○本当に、本当に壮絶な体験をされてきたのだなと思いました。特に、痴漢のお話からは大きな大きな刺激(?)を受けました。まさに民族・性別・階級という重層的な差別構造の中でこそ起きうる問題なのだと思いました。自分の問題として考えてみたいと思います。(K.W)
○無意識のうちにでも差別をしているのかもしれない。また、あ!差別をするようなことを言ってしまったかも知れないと思うこともある。被害者でも加害者でもなかったときに、どう防止を考えるのか。さまざまな人たちと関わる中で、さらに考えることも必要なのだろうと強く感じた。(無記名)
○大学生の時に人の権利について学んでいたので、非常にためになった。(A.J)

○辛さんのお人柄にふれ大変感銘を受けた。自分は何が出来るか、あらためて考えました。ありがとうございました。(T.Y)
○辛淑玉さん、全存在をかけた話をありがとうございました。著書を拝読したことはありましたが、直接お話を聞いたのは初めてでした。今日、うかがうことができて本当に良かったと思います。差別の問題で、知っているつもりでしたが、知らなかったんだなぁということを自身思い知りました。最初におっしゃられた「加害者ならあやまる、被害者なら声を上げる、加害者でも被害者でもないなら、そのような差別を作りだした責任をどう取るか」という問いに、自分も「加害者でも被害者でもない」立場から問われました。無関心であること、知らないことは罪であることを考えさせられました。私自身が出来ることをこれからしていきたいと思います。(K.Y)
○すさまじい辛さんの生き方に、単純に「パワーをもらいました」などという軽い感想は言えません。私も、日々幾多の差別を受けていますが、とにかく死なないで生きてみようと思います。辛さん、ありがとうございました。あなたの「出会いたい」という言葉も素敵です。(W.T)
○日本社会というものが、辛さんの口で語られることによってはっきりと目の当たりにすることができた。私は(たぶん)日本人であるが、育った環境が“一般的”な日本人と違うためにいつも生きづらさを感じていた。その感覚というのは間違ったものではなかったことが実感できた。(K.T)
○とてもよかった。まだ二度目ですが、何度うかがっても辛のお話には考えさせられます。辛さんのように強く、優しくありたいと思います……難しいですが。やくざをはじめ、その他のどんな人々もおいつめず、まきこめる社会をつくっていきたいです。(O.M)
○ありがとうございました。心がふるえました。私も自分の居場所で「負けず」に頑張りたいと思いました。お元気で。お体、大切に。またどこかでお話しをお聞きしたいです。(H.S)
○抑圧されているものの中から、わき上がる不安にびんかんに、親切ぶらずに、ものを発言し、変えていく一人に、なることを学んだ。(E.S)
○差別されている人がさらに別の人を差別していく「抑圧の中の不安」について、考えさせられた。DVのことを連想した。(K.T)
○今まで知っているつもりだったが、想像を超えていた。差別は自分の中の醜い点を見たくないから起こすと考えていたが、根本的に考え直さなければならない。日本の歴史を知れば、差別はなくなるだろうか? 接する機会があれば、無くなるだろうか? 人権教育はどうあるべきか?(N.T)
○大変勉強になるお話が聞けました。(無記名)


講座の記録 谷幸(移住労働者と連帯する全国ネットワーク)

 2010年4月6日、連続講座「移住者のリアリティ――レイシズムを考える」の第1回目として、辛淑玉さんによる講演「人種主義を考える――体験的“人種差別”考」が行なわれた。平日の夜にもかかわらず、70名以上が参加し、辛さんの話に熱心に耳を傾けた。
 冒頭、辛さんは「日本生まれの朝鮮人で韓国籍の在日3世。永住権をもっている」と自己紹介した。このように自己紹介をすると、多くの日本人は混乱した顔をするという。日本人がいかに、「生まれた国=国籍=エスニシティ」を自明のものと考えているのかがよくわかる。しかしその辛さんも以前は「新山節子」という名前を使っていた。20歳のとき、本名で生きることを決めたところ、ご両親は「お前は日本のこわさを知らない」と言ったという。実際、本名を名乗るようになった辛さんは、通名を使用していた頃とはまったく異なる扱いを受けるようになった。また今でも、在日というよりも、韓国人というよりも、朝鮮人という方がはるかにひどい扱いを受けるという。しかしだからこそ、本名を名乗り、朝鮮人と自己規定するのだと辛さんはおっしゃった。
 このように辛さんのお話は、ご自身の体験と、そこに端的に現れている日本社会のレイシズムを指摘する形ですすめられた。
 そのなかで今日のレイシズムを考えるきっかけとなる話があった。辛さんによると、2000年代頃から、差別者のあり方が変化したという。もちろんそれ以前から、辛さんが、テレビなどで発言をすると電話やファックスで嫌がらせが相次いでいた。しかしそれは匿名で、在日にたいする差別は、社会の感情のはけ口としてなされているのだなと感じていたという。しかし2000年頃から、そうした嫌がらせの相手は実名を名乗るようになったそうだ。その相手は、専門職や「一流」企業の管理職など、一般に社会的地位が高いと考えられている人が珍しくなく、彼(女)らは、辛さんと対面したさいも、堂々と「外国人には出て行ってほしい」と言うという。この話は、社会の変化、レイシズムの変化を暗示しているように私には思われた。
 最も印象に残ったのは、辛さんの弟の話である。弟は、日本社会で徹底して疎外され、朝鮮学校でもいじめられ、学ぶ機会をもつことができず字を読めなかった。そんな彼が生きていけたのは任侠の世界だけだった。弟が入門したやくざの一門は、親分以外全員が在日で、親分は「お前たちはやくざしかできないからな」とことあるごとに言っていたという。しかし弟は、借金、結婚の破綻・・・その果てに精神を病んでしまった。しかしその弟が、唯一きちんと発言できたのが、見舞いに訪れた子どもにたいする「お前、差別されていないか」という言葉だったという。差別は弟を傷つけ、その存在を「壊し」、それでもなお彼の記憶に沈殿しているのだった。しかし日本社会は、自らが生み出した「逸脱者」に追い打ちをかける。「美しいマイノリティではないとホスト社会は助けてくれない」という辛さんの言葉が、ずっしりと重かった。
 辛さんは「差別はなくならない。どんどん新しいのが出てくる」と、安易な「差別の克服」には懐疑的だった。「抑圧されている者にとって、こみあげる不安がなくなったとき、(例えば)日本名の方がちゃんとやってくれると思ってしまう不安をマイノリティが抱かなくなったとき、信頼しあえる社会ができたといえる」。そのためには、「差別を見抜く力」が必要だという。そしてマイノリティにとっては、「一人にならないことが大事。孤立したら死ぬしかない。だから自分と同じ問題を抱えている人、理解ある人と早くつながることが重要」だとおっしゃった。
 今回の講演は、参加者にも大きなインパクトを残したように思われる。私自身、辛さんのお話を伺って、辛さんは徹底してご自身の体験を噛み締め、それを生み出す社会の闇を見つめ、そして身を切るような行動を通じて、その闇に徹底して対峙しているのだと感じた。また日系ブラジル人の参加者は、辛さんが体験された差別は、今ブラジル人も同様に体験していると語っていた。日本社会の差別の根深さに暗澹とした思いになるが、この状況を少しずつでも変えていくためにも、今、在日コリアンが体験してきた差別、ニューカマーがうけている差別、すなわちこの社会の闇を改めて問い、レイシズムとは何かを根底から考えていくことが必要だと改めて思った。 

○辛さんのお話は都知事の第三国人発言の集会のとき以来だったので、初めは「ずいぶん柔らかくなったな」と思いました。でも、お話を聞いていくにつれて、こんなひどい差別を受けてへこたれない強さって何なのだろうと魅き込まれていきました。なかなかこれだけ強くなれないものだと思いました。だから朝鮮籍・韓国籍を隠して生きている人も多いのだと思います。弟さんの話は聞くのもつらいもので驚きました。野中さんとの対談でも涙で話が途切れたとのことですが、話すのもつらいことだったでしょうのに、よく話してくださいました。 また若い人が「差別なんて全然ない」と言うとのことですが、私もそういう話は聞きます。これをどう考えたらいいのでしょう。(W.Y)
○「なま」のお話、楽しくためになりました。「ため」になる講演はたくさんありますが、楽しく元気の出るお話は少ないと思います。やっぱり楽しくないと続かないと思いました。(W.M)
○パワフルでわかりやすいお話を聞くことが出来て、とても嬉しかったです。 最後のほうにお話しいただいた「差別はなくならないと思うが、差別を見抜く力を身につけること」。私自身がこれまでの体験でなんとなく考えていたこととつながったような気がして、安心したというか間違っていなかったのかなぁと思えました。ありがとうございました。(無記名)
○普段生活している中では、気付かなかったこと、見えなかったことにたくさん気付かされました。こうしたことを、より多くの人に知ってもらうことが大切だと思います。辛さんの勇気に感動しました。(無記名)
○講座の最初に、「朝鮮人にしておくのはもったいない」とよく言われる、とおっしゃっていましたが、私(日本人)は韓国人の友人に「あなたは韓国人みたいだよ」とほめられたことがあります。私が日本人として誇りを持っているように、韓国人も、他の国の人も、自国にidentityをもっています。これは日本人に限らず、世界共通に言えることではないかと思いました。(S.S)

○とても力づけられました。辛さんの存在に勇気づけられるというか、希望を持てるかもしれない気になりました。どのように自分の責任を果たせるのか、考えさせられました。(無記名)
○辛さんの話を久しぶりに聞きましたが、これほどまでの話も久しぶりでした。ありがとうございます。(無記名)
○差別の生み出す難儀の実態を聞かせてもらえて、ありがたかった。(K.N)
○少し前の話とは言え、やはり日本は「差別大国」だったんだと言うことが生々しくよくわかりました。日本人であるということが、あるグループの人達にとってそんなに重要なことなんだということが今さらながらわかった気がします。(F.K)
○来て良かったです、また眼が開かれた気がします。続けて開催してください。(無記名)
○在日の方の生の声が聞けてよかったです。いろいろと学ぶことが出来ました。(無記名)
○辛淑玉さんは、やはり感動する。(O.C)

○在日コリアン三世の辛さんの経験された差別は、想像を超えるひどい差別ばかりだった。知らなかったことが恥ずかしいし、知ったからには学び分かち合わねばと考えます。自分は日本人ですが、できることをしたい。(E.A)
○辛さんのお人柄にふれる機会を得て、うれしく思います。(T.S)
○本気で人生を生きてこられたことを講演の中で具体的に話されていて、とても感心をもちました。(S.H)
○人種差別のことをあらためて考える良き機会となりました。ご自分の体験などを聞かせていただき感謝いたします。(無記名)
○本当に重い問いを突き付けられました。「差別はなくならないと思う」という言葉は、同感です。そして、だからこそ学んでいかないといけない、ということになぜか逆に可能性を感じました。うまく言葉になりませんが、今日は来て本当に良かったです。ありがとうございました。(O.K)
○非常に良かったです。辛淑玉さんが、反石原で頑張っておられたときにその存在を知り、今日、あらためて話を聞くことができました。強そうにみえる辛淑玉さんの、そのお話の裏にある差別にみちた世界がよく見えました。弟さんの話では涙がこらえきれませんでした。(Y.Y)
○朝鮮人で、永住資格があって、韓国籍で、三代目。この感覚は私とまったく同じです。日本人には理解できないかも。(C.J)
○ありがとうございました。自分には覚えのない感情もあれば、自覚のある感情に気づくこともできたような気がします。(無記名)
○辛淑玉さんの話を聴きに来て、本日は幸せでした。また明日、明後日、生きてゆこうと思います。(Y.T)
○スゴちゃんのお話をフルで聞くのは今日で2回目。前回は神保町の本屋で『差別と日本人』だったんだけど、ちょっとすごくない?(H.K)
○明るさ、大変さ等々、本で読むだけでは伝わってこないものがありました。良い経験になりました。(K.M)
○本当に、本当に壮絶な体験をされてきたのだなと思いました。特に、痴漢のお話からは大きな大きな刺激(?)を受けました。まさに民族・性別・階級という重層的な差別構造の中でこそ起きうる問題なのだと思いました。自分の問題として考えてみたいと思います。(K.W)
○無意識のうちにでも差別をしているのかもしれない。また、あ!差別をするようなことを言ってしまったかも知れないと思うこともある。被害者でも加害者でもなかったときに、どう防止を考えるのか。さまざまな人たちと関わる中で、さらに考えることも必要なのだろうと強く感じた。(無記名)
○大学生の時に人の権利について学んでいたので、非常にためになった。(A.J)

○辛さんのお人柄にふれ大変感銘を受けた。自分は何が出来るか、あらためて考えました。ありがとうございました。(T.Y)
○辛淑玉さん、全存在をかけた話をありがとうございました。著書を拝読したことはありましたが、直接お話を聞いたのは初めてでした。今日、うかがうことができて本当に良かったと思います。差別の問題で、知っているつもりでしたが、知らなかったんだなぁということを自身思い知りました。最初におっしゃられた「加害者ならあやまる、被害者なら声を上げる、加害者でも被害者でもないなら、そのような差別を作りだした責任をどう取るか」という問いに、自分も「加害者でも被害者でもない」立場から問われました。無関心であること、知らないことは罪であることを考えさせられました。私自身が出来ることをこれからしていきたいと思います。(K.Y)
○すさまじい辛さんの生き方に、単純に「パワーをもらいました」などという軽い感想は言えません。私も、日々幾多の差別を受けていますが、とにかく死なないで生きてみようと思います。辛さん、ありがとうございました。あなたの「出会いたい」という言葉も素敵です。(W.T)
○日本社会というものが、辛さんの口で語られることによってはっきりと目の当たりにすることができた。私は(たぶん)日本人であるが、育った環境が“一般的”な日本人と違うためにいつも生きづらさを感じていた。その感覚というのは間違ったものではなかったことが実感できた。(K.T)
○とてもよかった。まだ二度目ですが、何度うかがっても辛のお話には考えさせられます。辛さんのように強く、優しくありたいと思います……難しいですが。やくざをはじめ、その他のどんな人々もおいつめず、まきこめる社会をつくっていきたいです。(O.M)
○ありがとうございました。心がふるえました。私も自分の居場所で「負けず」に頑張りたいと思いました。お元気で。お体、大切に。またどこかでお話しをお聞きしたいです。(H.S)
○抑圧されているものの中から、わき上がる不安にびんかんに、親切ぶらずに、ものを発言し、変えていく一人に、なることを学んだ。(E.S)
○差別されている人がさらに別の人を差別していく「抑圧の中の不安」について、考えさせられた。DVのことを連想した。(K.T)
○今まで知っているつもりだったが、想像を超えていた。差別は自分の中の醜い点を見たくないから起こすと考えていたが、根本的に考え直さなければならない。日本の歴史を知れば、差別はなくなるだろうか? 接する機会があれば、無くなるだろうか? 人権教育はどうあるべきか?(N.T)
○大変勉強になるお話が聞けました。(無記名)