在日本韓国YMCA連続講座Cut'n'Mix>第1期第5回

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  • <2010/10/26>第3期の記録をアップしました。




Cut and Mix通信 15号

「コリア・在日・日本」連続セミナー2002〜2003


連続セミナー 第一期を終えて



●佐藤信行

 昨年11月2日から始まったこのセミナーは、「在日コリアンの多様性と可能性」と題してこれまで13回、プラス特別講座2回を数えました。そして今日、第一期の最終講座を迎えます。

 私たちは昨年秋、講座を始めるにあたって、次のように呼びかけました。

 「現在の日本社会、在日社会、南北コリアの多様性と可能性を、とくに在日コリアンという存在に焦点をあてて考えてみたい。歴史、政治、人権論という観点に加えて、思想や文化、生活など多様な角度から、新たに発見すべき問いを、在日コリアンおよび日本の若い世代と共に求めていきたい」

  この講座を企画する際にいくつか留意したことがあります。その一つは、「コリア―在日―日本」を従来の政治的な枠組み、ステレオタイプされた枠組みを一旦はずして考えてみよう、ということです。企画していく中で、じつにさまざまなテーマが出されました。そして実際、講座をやっていく中で、これらさまざまなテーマが、私たちにとって「新たな発見すべき問い」としてあることが実感できたことは、私たちにとって大きな希望ともなりました。

 

 各回の講座の報告や感想は、『Cut&Mix通信』としてまとめ、参加者にお渡しすると共に、韓国YMCAのホームページに掲載していきました。そこには、「在日の可能性」にかけようとする在日の意志があり、そしてまた「在日」に向き合おうとする日本人の真摯な応答があります。

 これまで全15回の講座の中で、私たちは「講師から参加者へ」だけではなく、講師も参加者も「共に考える」、双方向性をもった対話の場にしたいと願ってきましたが、各回参加者のアンケートを読むと、それが少しは実現したかもしれません。

 この講座は、いわゆる「知的好奇心」によってのみ企画されたのではなく、「在日」をめぐるさまざまな実践課題に取り組む中で企画されました。講座の案内ができたのが昨年8月。しかしそのあと、私たちにとって予期せぬ「9・17」(日朝首脳会談)を迎えました。その衝撃の中から、私たちはもう一度、「コリア―在日―日本」の過酷な現実という、あまりにも大きなテーマを、この講座を通して語り合うことになりました。

 この講座に参加してくれた在日の中から、いま小さなグループも生まれました。また講座参加者の学生・院生たちの間から今年3月、「民族学校の大学入学資格を求める」ネットワークが立ち上げられ、いま彼ら彼女らは各大学で孤軍奮闘しています。

 在日コリアンと日本人との共同作業、各世代をつないでの共同作業が、こうして始まったといえるかもしれません。

 

切れていたものは繋げられたか

●金 弘 明

 この連続講座の話が持ち上がったのは1年半前の2002年の年明けからだった。

 その時の話題にはワールドカップと9・11のニューヨークでのテロ、米英によるアフガニスタンへの爆撃はあった。テロとその報復の憎しみの連鎖の中で、私たちは何ができるだろうかということを話し合った記憶がある。

 しかし、その時点では9・17の平壌宣言もなく、日本人拉致も明らかにされておらず、教育基本法「改定」の重要性もまだよくわかっておらず、イラクへの戦争もなく、国立大学入学資格に関する文部科学省の驚くべき対応とその後の右往左往もなく、有事法制も決まっていなかった。もちろん、SARSの話もだ。だから、企画の前の話題に、なるべくもなかった(自身の関心の低さもあってのことだけど……)。今から思うと、たった1年半の間に日本・アジア・世界で多くの人々の価値観を揺さぶるような出来事、選択を迫られることが立て続けに起こった。身の回りで「ナショナリズムと排外主義」とはこういうことか、と感じることさえあった。多様性とは対峙するようなモノトーンをイメージする世界がやってきて、今まで積み上げてきたものが、瞬時に吹き飛ばされてちりぢりになった感さえある。

 そもそもが、この一連の企画は韓国へのスタディーツアーから話が始まった。最初から軌道修正をはかり、しばらくはRAIKの佐藤氏と私の間で風呂敷を拡げ続け、そこに洪氏に加わってもらってかなり大きくしてもらった。そのうち講座という形を取り、やりたいこと、知りたいこと、聞きたいこと(人)を個人責任で進めることとなった。テーマは「在日」であり、語られてきたことと、語られてこなかったことを、いろいろな眼差しから捉え直せればと思っていた。しかし、「在日」をテーマにしたはずが、企画者たちの意図を超え、現在の諸相と混じり合い一人歩きしていったようだ。まさしく企画は講師と参加者によって育てられた、としみじみと感じる。

 切れていたものはつなげられただろうか? この企画がささやかながらもその契機になれたのなら、準備に携わった者の一人として望外の喜びである。

 

CutnMixは終わらない

●洪 貴 義

 どれほどおしいと思っても映画を見ていれば必ず終わりがくるように、長丁場の連続講座にも最後の回が必ずやってくる。準備期間を入れれば1年にもわたって行ってきたこの企画は、今静かに(第一期)を終えようとしている。

  この講座の意図は明快であって、チラシや小冊子、YMCAのホームページにも載せてあるとおり、それはCut and Mix 、切れてつながることの実践につきるといってよい。その切れてつながることの実践が意識的に行われたのは1960年代から70年代にかけてのことだった。それは地球規模で行われた植民地支配とそこからの離脱をへて、ホームから切れてアウェイというかつての植民地宗主国で生きるものたちが、世界戦争後、初めて世界各地で同時的に自らの存在形態を再想像しはじめた時期だ。そしてその時には見えなかった、かつての切れてつながることの世界同時代性が改めて発見されたのが、20世紀末から21世紀にかけての現在なのである。

 日本の文脈、すなわちわたしたちの講座の文脈に目を向けてみよう。1910年韓国併合以後の日本の植民地支配体制は1945年で終わったわけではなく、それ以後もそして現在においてもなお、問題であり続けている。そのような「戦後」にも続いた日本のコロニアリズムの連続性のなかで、在日という意識は刻まれてきた。つまり朝鮮半島にいるコリアンとは一旦切れてきた。そして切れることによってこそ、再度つながる、別なかたちでつなげ直すことができるようになってきたのである。

 そのような歴史的蓄積をふまえて、連続講座「Cut and Mix」は新しい主題とともに在日を軸にした文化的実践を再び取り戻そうと試みてきた。主題の多様な広がりのなかで拡散する在日性を積極的にとらえ返し、それを日本社会へ、朝鮮半島へ、そして世界へと投げ返していくのである。そうすることで失われつつある文化批判=文化研究(C.S.)の批判力と創造性を歴史的・実践的に回復しようという試みでもあった。

 ベンヤミンが絶筆で書いたように、私たちは過去の廃墟から吹いてくる強風にあおられて、後ずさりながら未来へと進んでいく存在である。歴史に終わりがこない限り、この風が止むことはないだろう。したがって「在日」が終わることはない。わたしたちのCutnMix は終わらない。切れてつながる実践はまだ始まったばかりだ。

●発行●2003年5月30日
●編集●金 弘 明/洪 貴 義/佐藤信行