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Cut and Mix通信 13号

「コリア・在日・日本」連続セミナー2002〜2003


連続セミナー「在日」:Cut and Mix第12回(2003年3月28日)

 「真剣10代しゃべり場―国って必要ですか」をめぐって

●郭敬樹さん


排除もしないが理解もしないカラクリ

●仲本真理子(埼玉大学大学院生)

 3月29日、Cut and Mixの第12回講座が行われました。「『真剣10代しゃべり場−国って必要ですか』をめぐって」と題された今回の講座では、現在19歳となった郭敬樹(かく・きょんす)さんを迎えてのものでした。NHK番組「しゃべり場」(2000年10月14日)で、郭さんが「在日」であることによる葛藤や問題を番組内でカミングアウトしたことは、多くの10代になんらかの刺激となったようです。その証拠に放送後1週間で205通ものメールがよせられたそうです。私自身も、30代、40代の方の話を聞く機会はあっても、10代の方の話を直接きかせてもらうのは初めてのことで、ビデオの中から郭さんの息苦しさ(生き苦しさ)が伝わってきて胸が痛くなりました。 上映後の話によると、あの場は、しゃべり場のメンバーでの事前の勉強会などもなく、土台となる歴史認識の共有もない〈まっさら〉な状態での提言だったといいます。講座の参加者のコメントでも「一つ一つの言葉に小さく傷ついていた」というものがありましたが、わかってもらえないもどかしさは、郭さんにとってもTVをみていた他の子たちにとっても心の痛みを伴うものになってしまったのだろうと思います。〈まっさら〉な状態からでてきた発言ということは、日常生活のなかで多くの「在日」の若者が、これらの言葉に襲われる可能性があるということを示しているのだと思いました。  郭さんの問いかけに対する他の子たちの発言の中で「何もかわらない」「何ができるんだ(否定的な意味で)」という言葉が多く発せられていたことがとても印象的でした。10代の子たちは学校社会の中で多くの時間を過ごし、そこでの人間関係、友人関係が強く自分を縛っていくものだと思います。ビデオの中の様子はそこで自分が抱えている問題を共有できない、排除もしないが理解してもらえないというどもたちの現実の一部をみせられたように感じました。郭さんに対する多くの発言からは、「すでにある大きなものに不平不満をいってもしかたないのだから、お前はお前でがんばれ」というようなメッセージが感じられました。「日本人」として生まれてきた子たちの日常の不平不満と、郭さんのような「在日」の子たちの不平不満との一番の違いは、一人ではどうしても乗り越えられない、変えられない現実との格闘が果てしなく続くということだと思います。社会構造に対して不満があっても、選挙権もない。自己認識も、押しつけられたり否定されることはあっても、選ぶことを許されはしない。特に、制度によっての排除は、自分の力だけではなんともできない。そのように、自分の力だけで闘うことも逃げることも出来ない場所におかれている人への無理解という暴力に、「在日」を含むおおくの子どもたちがさらされている現実を見せつけられたようでした。そんな〈新自由主義キッズ〉の群れのなかにいる現在の10代の子にカミングアウトを薦めるだけでは、それこそ暴力になるのだと思います。「郭さんの顔が、放送時(3年前)よりほがらかになっていてほっとしている」という発言が参加者からもありましたが、郭さんがあの場をのりこえ声を発し続けられていることを本当にうれしく思いました。  ビデオの中では「国って必要ですか」という問いに応えるという形はとっていなかったようです。この問いには現段階では「はい」と答えるしかないと私は考えています。歴史や風土を反映してつくられた国ごとの経済や政治・教育のルールが存在することは否定できません。グローバリゼーションがおしすすめられているとはいえ、国境線という境界線で区切られた内部で命や権利を守られ助け合いながら生活している人は多いです。しかし、国境線の内部にいるにもかかわらず、守られることも、助けられることもない人がいる、それどころか、いつ外部におしやられるかという緊張感をもちながら生活させられている人がいる、そのことについてみんなで考えてほしいと、当時16歳だった郭さんは訴えていたのだと思います。国境線内部で生活し、特別永住という在留資格ももっているのに、なぜ郭さんはことあるごとによそ者扱いされなければならないのでしょうか。「朝鮮人」であることと、日本で生活することとはそんなに矛盾することなのでしょうか。「国」という仕組みに納得できないことをうまく伝えられない郭さんのもどかしさが伝わってきました。 そもそも国は、「わたしたち」がよりよく助け合って生活するために機能するはずのものではないでしょうか。ただ、だれを「わたしたち」として、だれをそれ以外としているのか、ということについては多くの人が無自覚です。構成員は選びだされ、選ばれた人にだけ「わたしたち」意識をもてるようなからくりがつくられています。「わたしたち」の特権を認めたくない人は、国はすでに完成品であって創り変えることはできないと思いたがります。本当は創り変えることができる特権すら「わたしたち」にしかないことに気付かないふりをして、頑張れの一言で片付けてしまいます。 からくりを無視したまま、差別問題や人権問題を教えたところで、建前に対する拒絶反応だけを子どもに植え付けてしまうのではないでしょうか。しゃべり場のメンバーたちは、むしろそれを素直に表しただけなのかもしれません。郭さんを苦しめているのはどういった仕組みやどういった力であり、それに無自覚な「わたしたち」のどういった感覚や意識なのか。そういったことを一緒に考えていくことが、涙を少なくできる方法なのだと思いました。

 

国って、本当に必要なの?

●デボラ・ホジソン(ニューズウィーク日本版編集部)*原文日本語

(3月28日のCUT and MIX で私たちは郭敬樹さんと話す機会があって、彼が「国」という概念の中から自分なりの意味を引き出そうとしてきた苦労について一緒に考えました。) もしかすると、今こんにちの世界にとって一番破壊的な疑問がこれかも知れない。現在、一つの万能の国(アメリカ合衆国)が、何百倍も弱いもう一つの国(イラク)に侵略して、他の国は国民の気持ちからほど遠い概念である「国益」によって賛成か批判をせねばならない状況に措かれていると言われている。そのような中、「しかし、そもそも『我が国』って自分にとってどういう意味を持っているのだろうなあ」と問うことには、大きく世論を転覆する力がある。国家なんてなく、民族や部族、または個人しか存在していなかったとしても、戦争がなくなるとは思わない。歴史的に考えたら、民族国家の成立以前から戦争があったからだ。しかし、現代社会における「国」(*)という概念を再検討することが、戦争を少なくする動きの鍵となり得るだろう。 *日本語では昔、「国」という単語は自分の生まれ育った故郷の意味を持った。英語も、「カントリー」(国)というのは、もともと都会から離れたところ(だから自分がリラックスできるところ)の意味だった。実は、現代人は現代の「国家的なクニ」にはあまり帰属意識はない。五輪のファンぐらいにしかない感覚なのだろう。 あいにく、「国」の枠組みは復活しているようにも見える。つい最近まで、国家の権力を、市民の権力でバランスをとろうとする市民社会の運動は、世論での受容性と説得力を増やしているように見えていた。グローバリゼーションが国境の支配もナショナリズムも軽んじはじめている時期、同時多発テロがその不都合さに目覚めさせてくれた。しかもそれが、ブッシュ政権に現在のイラクでの国家暴力の弁明となった。国家という概念が流行じゃなくなったと思ったものの、ちょっと時期に早かったかも知れない。現在の戦争とそれを絡む論議では、国益というものが完全に復活したように思うからだ。 やはり、ある所に帰属意識があり、それが強ければ強いほど、モダンな国というものに親近感がわかないのが全く皮肉だ。例えば、オーストラリアのアボリジニー(先住民)は、自分たちが大地の守護者であり、持ち主ではないと見ていると言われている(これは、実にアングロ・サクソンにとって分かりづらいことだが)。そして、自分たちは土地の物質的かつ精神的な子孫だとみなしている。彼らは彼らの先祖との関係を深めるために、しばしば長い期間にわたって一人とか少数で大地を迷い込む。 しかしアボリジニーたちは、英国の法律によってほとんどの生活と社会が支配されるようになり、ずっと「異物」としての扱いをされてきた。彼らは、自分たちが10万年以上にわたり暮らしている大地でありながら、あまりの「外人」扱いに反発して、1972年、キャンベラの国会の前に広がる芝生にテントを張り、「アボリジニー大使館」という看板を出した。国会はそれを大目に見て、今でも30年間、テント大使館が続いており、常にそこには管理人がいる。もちろんこれは、アボリジニーは未だに「外人」だという解釈を可能にするが、しかし今はそれも考え直されている。 日本政府はとても寛大に見えないが、在日朝鮮人・韓国人がその「大使館」を国会の前で建てたら、面白いプロテストになるのではないかと思う。彼らは、日本で生まれ、韓国・朝鮮に民族的なルーツがあるにもかかわらず、両国においても「外人」だということに注意を引くことが出来るかも知れない。

●発行●2003年3月28日
●編集●金 弘 明/洪 貴 義/佐藤信行