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Cut and Mix通信 12号

「コリア・在日・日本」連続セミナー2002〜2003


連続セミナー「在日」:Cut and Mix第11回(2003年3月14日)

新在日の視点から●金永悦



金永悦さんの話を聞いて●李

私はこの連続セミナーを受講して始めてニューカマー(新在日)という言葉を知りました。

今回はその先駆者でもあります金永悦さんから、韓国の伝統食「キムチ」を通して新在日についての経験談から在日、日本人との違い、現在の状況、これからの在り方など、とても興味深いお話しを聞くことができました。

在日と新在日との違いについてのお話の中で、「人間は環境に支配されている動物であるから、韓国籍であろうが、日本の環境で育てば、日本人の考え方になってしまい、自分を出せずにいるけれど、新在日は自分を出すことに躊躇がなく、即、行動に移せるところが大きな違いです。」には、まさに、そうだと思いました。

私は、在日三世なので、日本の環境で育ち、自分の意志を表現できないまま固定観念に支配された中で、最近まで生きてきました。子どもの頃は、まだ差別意識や偏見も強い時代でした。差別を受けても親には言えずに、いつも心に孤独感を持ちながら10代、20代をすごし、20代後半からの10年くらいは、自分にとっての心のやすらぎや、社会での在り方、アイデンティティーを探求するために、あらゆる心理学やセラピーを勉強し、その中に真の自己を見出そうと苦しんでいました。

その私にも1年くらい前に、今までの人生が180度変化するきっかけとなる出会いがありました。それは、韓国人も日本人もない人としての「心の在り方」を深く学んだことで、今までのあらゆる固定観念が崩れ、在日であることを隠してきた私が、積極的に韓国籍だという事実をあらゆる場面で告白できるまでになりました。それから、私の価値観や考え方も大きく変化し、現在は積極的に韓国の歴史や文化について勉強しながら、いろいろな場に参加し、在日の人たちと積極的にお会いし、日本の方ともお茶会形式で、差別問題や、歴史について、ディスカッションなどを通して心の交流を図っています。

以前の私のように、偏見という辛い思い出から脱け出せずにいる特に20代〜40代の在日二世、三世の方が、まだたくさんいると思います。これから在日の人たちとも、もっと交流の場を持ち、分かち合い、真のつながりの輪を拡げたいと思っています。

最近、あるコラムの中で『「歴史を学ぶ」のではなく「歴史に学ぶ」のだ』という記事を見つけました。それは悲しい歴史を繰り返さないために「歴史に学ぶ」ことなのだと思います。また、金さんのお話の中で「これからの時代は本物を見る目がとても大切で、偽者は残れない時代がきている。だからこそ、韓国の伝統的文化でもあるキムチも、本物だけを伝えていきたい。」というお話は、とても共感し、熱い思いが伝わってきました。

21世紀は皆が改めて正しい歴史から学ぶことと、真の相互文化の深い理解が何よりも大切だと思います。それが、共に感動を分かち合えるような環境を創っていく上での出発地点であり、これからの自己の心の在り方を一人一人が認識し、お互いの違いを認め合えた時、国を越えた心の交流・共生が実現し、地球は平和へと向かうことができるのだと思います。

金さんが、現在、積極的に推進していらっしゃいます人と人との交流の渡し船「ナルッペ(渡し船)人生」に、これから私も少しでも近づけるようなコミュニティを拡げていきたいと思っています。

 

ニューカマー韓国人の見る日本・在日社会

                                    リュ・シネ(ロンドン大学SOAS人類学博士課程)

 

私はニューカマー韓国人だ。1972年に韓国で生まれ育ち、7年前にイギリスロンドンに行って留学して、韓国と日本という存在に関心を持つようになった。結局、博士論文の主題に「日本に対する韓国人の意識とアイデンティティー」というものを選択し、1年7ヶ月前に日本に来た。始めの1年4ヶ月の間は大阪に滞在しながら日本語を学ぶのと同時に在日同胞と多様な日本人、韓国人に出会い、今年の1月から現在までは埼玉に住みながらニューカマー韓国人たちに会ってインタビューをした。今まで出会ったニューカマー韓国人たちは主に留学生と配偶者ビザで来ている主婦たちが多く、日本の会社に通っていたり、商売をしている人たちや、オーバーステイの人たちは少数に過ぎない。したがって、私が今まで感じた「ニューカマー韓国人が持っている日本、在日社会に対する認識」にはある程度限界があるということに言及しておく。

3月14日、在日本韓国YMCAが主催した「ニューカマー韓国人が見る日本・在日社会」の講座に参加した人たちはYMCA関係者がほとんどだった。このことは普段からよく聞かれる話で、つまり在日同胞とニューカマー韓国人の間に交流がほとんどなく、お互いの関心も少ないということを意味するのではないだろうか?そしてニューカマー韓国人という言葉自体が持っている限界性、すなわちニューカマー韓国人たちが自分のことをニューカマー韓国人であるとする集団的認識が不足している現実を繁栄していることではないかと思う。

 ニューカマー韓国人という言葉は、現在日本に住んでいる韓国国籍の人々のうち、半世紀前に日本の植民地支配を前後とした時期に自発的、非自発的に日本に来て定着した在日同胞ではない韓国人を意味する、対立項としての概念である。特に1987年の韓国政府による海外旅行自由化措置以降、留学、就職、結婚などの関係で日本に来て生活するようになった韓国語が母国語である人たちを指す言葉として受けとめられている。彼らは現在公式的統計によると、約10万名であるが、オーバーステイを含むと18万名に及ぶという。このように少なくない数のニューカマー韓国人だが、彼らの日本での滞在の様子と活動、実際に接する日本・在日同胞社会の一部という点での彼らの生活の様子は非常に多様で、「ニューカマー」という一つのカテゴリーで一括りにするのは難しい。

 例えば留学生が普段接する日本・在日社会というのは、学校で出会う学生と教授、或いは日本語教師と事務室の職員たちーとアルバイト先の社長と同僚たち、そしてお客さんたちに限られている。これと比較して配偶者ビザで日本に滞在する主婦たちは配偶者、若しくは教会で会う人たち、公民館などでの日本語ボランティアの日本人女性だとか、子どもの小学校で会う保護者たちを通じて日本社会を見るようになる。しかし、オーバーステイしている工場労働者の場合は週6日労働に一日14時間以上の長時間労働と集団的な住居、言語的制約、強制追放の危険性という生活条件によって日本に住みながらもゲットーの中での生活以上を越えることができないため、日本・在日社会との接触がほとんど遮断されているのが実状だ。このように多様な生活の場をもっているニューカマー韓国人を一括りにする共通点は彼らが日本に来るようになった底辺の目的意識と言える。韓国から遠くないが“韓国とは違う人生をおくれるー或いは近い未来に韓国での違う人生を可能にするー可能性とチャンスの国”である日本を選択したという点、そしてお金儲け、若しくは勉強を通じて“違う人生”、すなわち身分上昇を期待するという点で彼らは一つの集団として区分されるだろう。たとえば日本語学校で日本語だけを一生懸命勉強してから1、2年後に帰る留学生の場合でも日本語、日本生活の知識という“文化的資本”を通じて韓国社会で就職、商売での成功を企てるという点でこれと大きく違わないだろう。または結婚を通じて日本で住むようになった韓国人の主婦の場合は少し違うケースだが、多くが韓国よりも安定していて便利な生活条件と教育環境をもつ日本での生活を好むという点で多くのニューカマー韓国人たちが見せる“日本生活を通じてよりましな人生を実現しようとする欲望”というものを読みとることができるのではないかと思われる。このようなニューカマー韓国人のうち、近い未来に韓国に帰ろうとする人たちと、可能ならばできる限り日本で住もうとする人たちとに分かれているが、後者の考えを持っている人たちによって最近つくられたニューカマー韓国人たちの組織を在日韓国人連合会という。

日本内の韓国国籍をもっている代表的な組織として民団があるが、民団はこれらのニューカマー韓国人たちに実質的に自分たちの生活と特別な関係のない日本政府と同じような存在として投影されているようだ。日本政府に税金は納めるが、直接的な福祉や政治参与などの恵沢はのぞめないように、民団に会費は納めるが、かといって民団の活動を通じて自分の生活状況が向上することはのぞまないニューカマー韓国人たちが多数を占めるのではないかと思われる。実質的な援助を全く期待できない民団ではあるが、パスポートの更新のために仕方なく民団に行かなくてはならなかった頃、その間出していなかった会費を一度に払わなくてはならず、民団の“搾取”に憤慨するニューカマーの主婦もいた。

このようなニューカマー韓国人たちは現在在日同胞社会は一般的に“自分たちの生活とは距離のある世界、見えない世界”として感じられるようだ。もちろん一世の同胞たちの場合は違う。韓国が経済的に困難な時代に、日本に来て暮らしている同胞たちは、特に80年代中盤までは“ジャパン・ドリーム”を夢見て日本に来、韓国人の親戚のために日本でオーバーステイをしてお金儲けできるように助けてあげたことは公然の事実である。その当時、韓国人にとって同胞という存在は“豊かな親戚”、“よりよい人生のための日本滞在の足がかり”だったのではないか。2000年代の今、やはりこのような家族、親戚のコネクションを通じてオーバーステイを企てる人たちはいるが、ニューカマー韓国人のブローカーを通じて短期滞在ビザを結婚ビザに変えて長期滞在するニューカマー韓国人たちが増加し、在日同胞社会も一世よりもよりいっそう日本化した生活をしているー若しくはそのように見えるー二、三世の比重が大きくなった。

1990年代と2000年代にわたり、二、三、四世が多数である在日同胞社会は日本社会の隅々に隠れている見えない社会、すなわちほかの日本人たちと区分するのがむずかしいほどに“韓国人である・外国人である”ことが外側からは見えない社会をつくって生きているように見える。ニューカマー韓国人がこのような同胞に偶然出会ったとしても、“日本人に一人出会った”とかいうように思うのが現実だ。その上、たとえ韓国式の名前を使って韓国語の上手な同胞に出会っても、総連系民族学校に通っていた人たちが多く、彼らが使う北朝鮮式アクセントと単語の使い方によって違和感を感じるのはどうしようもない。

わたしが今まで出会ったニューカマー韓国人たちは多くの同胞たちと接した人たちは珍しく、同胞たちの生活についてもたいした関心を示さないように思われた。同胞の友達がいるという人たちの大部分は、東京の職安通りで長い間商売をしている人か、韓国語学校の日韓交流の集まりなどで最近2、3年の間韓国語を教えている人たち、そして大阪生野区の教会に通っている人たちだった。彼らは同胞たちの複雑な背景、或いは自分たちの経験する“非日本人”としての日本で生活する困難さを共感して親しくなる。または日本人でもなく、いわゆる在日韓国人・朝鮮人でもない同胞のあいまいな背景から生じる困難さに理解を示すようになった留学生の中には大学院課程の研究課題とする人たちもいる。

しかし、大多数の在日同胞たちとニューカマー韓国人たちの間には交流も少なく、言語的、文化的、各々が面している現実ー或いはそのような現実の認識ーの違いから発生する誤解と不信が多いようだ。大阪生野区で働いているニューカマー韓国人の友だちによると、在日同胞たちはニューカマー韓国人、特にオーバーステイの韓国人たちをすごく馬鹿にし、差別するという。“お前らは何年も住んでいるのに日本語ができないのか”、“おまえらなんか生活できないから日本に来たんだろ”、“オレたちは日本で何十年も苦労したんだからおまえらも苦労して見ろ”というのだ。これについて生野区のNGOで人権運動をしている同胞は“ニューカマー韓国人たちが日本に来てお金儲けだけをしようとして同胞たちの厳しい生活について関心も全くない、ということについて在日同胞たちはけしからんと思っている”と説明している。

このような在日同胞とニューカマー韓国人たちの葛藤と誤解は、結婚ブローカーと風俗業経営者を含む一部のお金儲けにあくせくとしているニューカマー韓国人の集団によって深化しているようだ。彼らのお金を儲ける行為に動員され、搾取されるノービザ韓国人たちと留学生の経験が“韓国人に気をつけろ”“韓国人にだまされるのであって、日本人にはだまされない”といううわさとなり、広がる。韓国人が経営する店で働いて2、3ヶ月給料がもらえず、結局もらえず辞めるようになったという話は無数にある。

これに反して、始めは外国人従業員を雇わなかった日本の店で一生懸命働く1、2人の留学生の何人かおかげでその店の社長の韓国に対するイメージが良くなり、韓国人従業員をさらに多く採用するようになったという話もよく聞く。韓国と日本の店の両方で働いたことのある留学生たちは後輩たちに“できるなら韓国の店で働かないで、日本の店で働け”、“日本の店で働くときは自分のことだけを考えないで、勝手に辞めたりすることによって韓国人のイメージが悪くなったらほかの韓国人の留学生がアルバイトを探すのがたいへんになるから注意しろ”という話をしてあげるという。

このように“信用のできない一部の韓国人”に対する留学生たちの裏切られたという思いと警戒は、日本生活においてもっとも大きな難関である経済的困難さゆえに“信じて取り引きできる日本人”に対する信頼につながるようだ。もちろん言語的、文化的違いからくる誤解と人間関係の難しさは多くの人たちが共通に悩むところであり、だから自分の悩みを吐き出し、助言を得るほどに親しい日本人の友達がいるという人は驚くほど少ない。彼らは、また在日同胞と同じように、家と職を得るのに困難を強いられる。しかしこのような困難、或いは差別によって日本と日本人に対して怒ったり非難する韓国人たちが意外にも少ない。多くの人たちはむしろ“約束を守らず自分勝手にする韓国人たちがいるからそうならざるをえない”、“実際韓国でも外国人労働者を差別するじゃないか”と反省的な態度を見せる。その上、昨年開かれたワールドカップのせいで韓国に関心を持ち、彼・彼女らニューカマー韓国人に接近する日本人たちが増えてからというもの、ニューカマー韓国人たちは日本に住んでいるが“自分は日本人と違うということ”を誇りに思い、これを“資本”として周囲の日本人たちと積極的に交流して生きていく人たちが増えたが、YMCAで開かれた講座に呼ばれた講師のキム・ヨンヨルさんのポジティブで積極的な自己理解に基づくキムチビジネスもこれの代表的なケースではないかと思われる。

先にも言及したように私はニューカマー韓国人の意識とアイデンティティーを研究しに日本へ来たニューカマー韓国人だ。今もなお研究のためのインタビューを続けており、ここに書いた私の文章にいくらかの限界と反論の余地があると考えられる。どのような反論と批判、助言をも歓迎し、cinelew106@yahoo.com に連絡してくだされば感謝する。

●発行●2003年3月28日
●編集●金 弘 明/洪 貴 義/佐藤信行