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Cut and Mix通信 10号

「コリア・在日・日本」連続セミナー2002〜2003



連続セミナー「在日」:Cut and Mix第9回(2003年2月21日)

「在日音楽」の可能性と不可能性●東琢磨



報告と感想

●志田  (ライター)

 そもそも今回の講座に行ってみようと思ったのは、「『在日音楽』の可能性と不可能性」というテーマに関心を持ったからだった。僕は80年代前半から朴保の音楽に惹かれ、何かにつけて彼の音楽の素晴らしさを伝えたいと思ってきた。そうするうちに、広瀬友剛という名前でメジャー・デビューした後、あえて朴保と名乗るようになった彼のことを良く知りたいと思うにつれ、在日の人達との交流の機会も自然と増えていった。

 今回はそんないきさつをご存知だった韓さんから講座の案内をいただき、参加することができた。まず韓さんに感謝!

 また講師の東琢磨さんとは、以前ブルース・インターアクションズから出版された「ソウル・フラワー・ユニオン 国境を動揺させるロックン・ロール」という本で、いっしょに仕事をさせていただいたこともあったので、旧交を温めるという期待も持ちつつ、参加させてもらった。

 ただし講座の本編は、「在日音楽」の定義に軸が寄りすぎているように思った。様々な見方を提示してくれたし、95年の震災直後の神戸で朴保が演奏している場面を収めた貴重なヴィデオを見ることができたのも収穫ではあった。だが欲を言えば、東さんご自身に、<これだけは何があっても主張したい>というところをガツンとぶつけて欲しかった。

 とはいうものの、今思い返しても、あの場にいることができたのは、すごくラッキーだったと思う。その発端は宋安鍾さんのキャロルをめぐる発言だった。発言のトーンは極めてラディカルだが、決してヒステリックにはならず、真摯なやり取りを望んでいる佇まいに興味を持ち、講座終了後の懇親会で「キャロル闘争宣言」という本について教えていただいたのは、本当にありがたかった。

 宋さんに限らず、懇親会に出席した方々は、みなさんそれぞれに自分の現場からの関わりを持っている人ばかりで、音楽との関連も強く、打ち上げでの話も面白く、韓さんの話から、ソウル・フラワー・ユニオンの音楽に対して、自分が気が付かなかった視点を発見したりできたのも僕にとっては大きな収穫。結局、東さんに誘われ、ゴールデン街で朝を迎えるほど盛り上がってしまった。

 ちなみに東さんには、ゴールデン街ですっかりお世話になってしまった。どうもご馳走さまでした!

 それから10日ほど後、宋さんから郵便が届いた。懇親会の時に教えていただいた「キャロル闘争宣言」という本は、現在ほとんど入手不可能ということで、わざわざコピーを送って下さったのだ。仕事はかなり詰まっている時期だったのだが、むさぼるように読んでしまった。

 ちょうど僕自身もドキュメントの単行本を書き下ろしたにもかかわらず、出版が遅れているという事情もあって、自分の仕事に向かうスタンスにカツを入れられるような素晴らしい本だった。宋さんからのメッセージには「このコピーは興味のある人に回覧して下さい」とあったので、知人の結婚パーティで再会した韓さんにさっそく渡してあります。興味ある方はどうぞご覧になって下さい。

 宋さんにはこの場を借りて改めてお礼を申し上げます。初対面の人間にわざわざ手間をかけて貴重な文献を送っていただき、本当にありがとうございました!

 そして最後に、あの講座を機会に、僕の運営しているホームページ(http://www.bekkoame.ne.jp/

~shida-a)の記事を丁寧に読み、感想を伝えてくれた方々と、こういうステキな出会いの場を作ってくれた講座の企画スタッフのみなさんにも感謝したいと思います。

 

 

●宋 安 

 

 “Cut and Mix”第9回講座は221日午後7時から、在日本韓国YMCA9階ホールにて、音楽評論家東琢磨氏を講師にお迎えして、『「在日音楽」の可能性と不可能性』というテーマで開催された。総数30数名(うち在日は10名弱)が参加した。

 他の音楽との比較のもとに、「在日コリアンミュージック」の条件を構想する、という東さんのご報告を共鳴と共感を以て聴きながら、終始私が自問したのは、みずからを在日と定位する表現者の音楽のみが「在日音楽」なのか、それともいかなるかたちであれ、在日コリアンに担われた音楽の総体を以て「在日音楽」と考えるのか、という「在日音楽」の範疇化につきまとうアポリアであった。そのとき私の念頭にあったのは、197275年に活躍したロックバンド「キャロル」に対する、映像作家龍村仁氏(元NHKディレクターで映像作家、「ガイアシンフォニー」シリーズで著名)の、以下のような評価である。

 「キャロルは、二人の強烈な個性をもった在日朝鮮人青年に依って、戦後三十年を経た日本の太平状況に向って投げつけられて炸裂した、原色の液体絵具であった。この日本に生れ、朝鮮語をしゃべれず、ロックンロールとテレビジョンに依って育てられた二人の在日朝鮮人青年、あるいは日本人青年の、両極に引裂かれた魂と肉体の激しい葛とうがあの〃キャロル〃の圧倒的な迫力をつくっていた。〃キャロル〃とは、朝鮮人の魂を持ち、アメリカ人の姿、形をした日本人の事なのだ。」(『キャロル闘争宣言 ロックンロールテレビジョン論』田畑書店、1975p286

『このキャロルとの出会いの中で私の体中を荒れ狂った激しい怒りの感情とは、いったい何んなのだろうか。(中略、筆者註)日常的に肉体を陵辱され続ける屈辱を抱え続けながら有効な反撃の手段も持ち得ないままに、表面的にはごく平穏に生き続けなければならないこの私の管理され切った日常に対する怒りだったのではないだろうか。「最初に犯されているのは肉体である。」「最初に制度化されているのは肉体である。」キャロルはこの事をほとんど無媒介的に私に思い知らせてくれた。キャロルのロックンロールは挫折感をセンチメンタルになぐさめる様なことはしない。最初に犯されているのが肉体である事を直接肉体に知らしめるのである。その意味でキャロルのロックは、暴力的であり、同時にナイーブなやさしさを獲得している。』(同上書p15

 龍村氏の表現は私に、フランツ・ファノンの「端から端まで裂けた声」ということばを、また梁石日氏の「アジア的身体」に関する所説を想起させずにやまない(平井玄『引き裂かれた声 もうひとつの20世紀音楽史』毎日新聞社、pp6-12、梁石日『アジア的身体』平凡社、「アジア的身体について」他)。ちなみに龍村氏は、ドキュメンタリー「キャロル」、ATG映画「キャロル」制作を巡る一連の騒動でNHKを解雇され、「キャロル」の絶頂期に、在日コリアンであることの苦悩と、ジョニー・李として生きんとする決意を記した手紙を同氏に宛てて失踪したジョニー大倉は、このあと朴雲煥として、李學仁監督作品『異邦人の河』に主演する(1975年)。それは「キャロル」解散の年でもあった(CD&DVDCAROL THE BESTUMCK-95252003、所収ライナーノートの年譜「アウトロー“キャロル”」参照)。

 龍村氏の評価を踏まえるならば、「キャロル」は、70年代前半期の日本社会を生きた在日2世の実存の、アポリアを身体化した存在としてあったことになる。「挫折感をセンチメンタルになぐさめる様なことはしない」、「暴力的であり、同時にナイーブなやさしさを獲得している」、「キャロル」のロックは、在日であることを、敢えて/余儀なく隠蔽して/させられている芸能者の創造と、みずからを在日とカムアウトし、それを表現活動のベースに置く芸能者(新井英一、李政美、趙博、朴保&「切狂言」または「東京ピビンバクラブ」ら)のそれの質感が、ときに通底することや、芸能者の身体性が否応なく担う「在日性」といった象徴的な領域があることを物語っているように、私には思える。

 「在日音楽」の範疇をどう構想するか、という設問は、単にそれだけに止まらない課題を孕んでいるのではなかろうか。東さんも指摘されたように、日本列島/朝鮮半島、いずれの社会においても、芸能は正業でなく被差別窮民(賤民)によって担われる賤業であり、卓越した芸能者の多くは賤民の出自であり、日本においてはしばしば出自を同じくするやくざが興行権を取り仕切る。つまり芸能はいまなお賤民が担う職能のひとつとしてある。被差別者のなかにあるクリーヴィッジを疎かに考える訳では勿論ないが、芸能を以て身を立てるのは職業差別のゆえでもあり、出自は巧妙に隠蔽され、その個人が創造した文化はmade in Japan(このJapanにいわゆる「異族」は存在しない)として消費され、さらには国民アイデンティティを補強するため転用される。まさに「やられっ放し」の極めてたちの悪い収奪にさらされる構造は共通している。このことは、差別を生き抜く課題を背負った者の連帯(solidarity)の課題を常に念頭に置きながら、「在日音楽」の範疇を構想する必要を示唆していると私は考える。同時に「在日音楽」の範疇、その「可能性と不可能性」の探究は、東さんが言及されたラティーナ・ヒスパニック・マグレブ人・インド人、それ以外であればユダヤ人やロマニー等の文化創造との比較のなかで、20世紀に離散(diaspola)を余儀なくされた、在外コリアンの文化創造を視野に収め、そのひとつとして構想される必要があることは言うまでもなかろう(トニ・ガトリフ監督作品「ラッチョ・ドローム」、姜信子『安住しない私たちの文化 東アジア流浪』晶文社、参照)。

 東さんの講演は、それぞれの場でそれぞれの個性が、「朝鮮人」を生き抜くことから創造された、多様な実存の形態すべて(「在日コリアンの多様性と可能性」)を、まるごと包み込むことを可能ならしめる、ことばと思想を、ひとりひとりが模索する必要を私に感じさせた。深甚の謝意を表したい。

                   *

 なお、私は翌日の特別講座Aにも参加する僥倖を得た。「あんにょんキムチ」、「GO」にみる新しい在日を語り合おうという企画のもと、10名が討論に参加した。日本人3名、ニューカマー3名、在日4名、という構成であった。在日の今日的状況を題材のひとつとした映画を鑑賞するという経験を、スタッフも含め参加者全員が共有し、それぞれの見解を摺り合わせる、文字通りの意味で「切れてつながる」(Cut&Mix)場が、当たり前のものとしていまここにあることそれ自体に、69年生まれの私は隔世の感を覚え、感銘を禁じ得なかった。日本人・韓国人・在外コリアン・在日を問わず、この講座に参加した者は、経験の通時性、共時性、及び差異性を見極めることから、いま/ここから始まる新たな連帯性を構想し、それに向けてみずからがどう関与できるかを、自身に問いかけたことであろう。安易な予定調和には到底収まりきらない対話の場が、これからも末永く持続するように、場を立ち上げてくれたスタッフをフォロワーとして盛り立てて行く必要性を感じた。

●特別講座●2月22

映画に見る新しい在日像(2)

GO』『あんにょんキムチ』を見る

 222日、企画の特別講座第2回、映画上映と討論の会を持った。前回の上映は『青〜チョン』『大阪ストーリー』だったが、今回は『GO』と『あんにょんキムチ』である。参加者は10数名、予想していたよりは少なかったが、その分、問題意識の高い人の参加を得て、密度の濃い議論ができた。この映画講座の日、私は前日21日の講座の後、この通信の前号に志田氏も書いている通り、新宿で朝まで飲んだ次の日だったこともあって、睡眠不足で体調がすぐれなかった。しかし参加者の真摯な発言を聞いていて、がぜん目を覚まし、元気を取り戻したのだった。参加者の国籍も、日本人、在日、韓国人留学生、コリアンアメリカンなどと多様だった。その中の日本人の1人、大学でカルチュラル・スタディーズやメディア研究を学ぶ増渕あさ子さんが感想を寄せてくれたので、以下掲載する。

●増渕あさ子ICU学生)

GO!』『あんにょんキムチ』を見ている間、「国家」とは何であるかということをずっと考えていた。いずれの映画の主人公も「自分は何者であるか」について作品を通して問い続けるが、その問いはほとんど「自分は何人であるか」という問いと重なっている。『GO!』の杉原にとっても『あんにょんキムチ』の哲明にとってもアイデンティティの中核を占めるのは「国家」「国籍」という枠組みなのだ。なぜ、彼らがそれほどまで「何人であるか」にこだわりを持つのか。私は日本人の両親を持ち、日本に生まれ、日本で育った、日本の国籍をもつ「日本人」である。そんな私は「自分は何人であるか」という問いを特別に考える必要もなく生きてきた。このような私の「国籍」への認識と、杉原や哲明の「国籍」への認識のギャップはそのまま、「在日」と「日本人」の間のギャップといえるかもしれない。私が「何人であるか」ということを問う必要がなかったのは、そのような問いをしなくともあらゆる権利や所属するコミュニティーが当たり前のように与えられてきたからだ。「国家」による規制や排除を経験することもないから、「国家」について考える必要もなかったのだ。権力を持つ側の人間が権力を持たざる側の人間に対して無関心になるのは権力を自明のものとして享受していて、持っていることにすら気付かないからかもしれない。その結果、権力を持つ側の持たざる側への暴力―差別―が起きていても差別をされている側が行動を起こしてはじめて差別構造は表にでる。差別する側は差別される側が「痛い」と声をあげるまで、あるいは声をあげたとしても、差別しつづけるのだ。では、権力を持つ側の人間として生まれてきた私には、このような差別構造を打破するために何ができるのか。権力を持つ立場にいる人間だからこそできることが、しなくてはいけないことがあるはずである。それは在日の問題を考える時、いつも私がぶつかる問いであった。大学でいくら在日問題に関する資料や論文を読もレポートを書いたとしても、実際に差別をなくすために何ができるのかを考えなければ問題は解決しない。そして今私が考える「マジョリティとしてすべきこと」とは、まず問題に気付き向き合うことと、対話することである。この二つは言葉では簡単に言い表せてしまうが、一番難しいことでもあり、そのことは私自身が強く感じている。実は今回のCUT&MIXの映画上映会に参加するにあたっても自分の中で強いとまどいと葛藤があった。その葛藤は在日の方と実際に会って話すことへのおそれと不安からきていたのだと思う。在日の方と話せば、自分が差別する側の人間であるということを意識せざるをえないだろう。その時自分はどういう顔をしていればいいのか。そのようなおそれを抱いて映画をみていた。だが、ディスカッションに参加して、もちろんそのおそれが消えたわけではないが、まずは対話をしないことには何もはじまらないという、いってしまえば当たり前のことに気付かされた。おそれて行動しないでいては何もかわらないし、おそれも消えない。対話すると同時に、もちろん権利上の不平等など制度的な差別を解決していなくてはいけないのだが、個対個の会話から制度的差別への解決もはじまるのではないだろうか。CUT&MIXでの出会いを大切にしたいと思う。

●発行●2003年3月7日

●編集●金 弘 明/洪 貴 義/佐藤信行