在日本韓国YMCA連続講座Cut'n'Mix

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Cut and Mix通信 8号

「コリア・在日・日本」連続セミナー2002〜2003



連続セミナー「在日」:Cut and Mix第8回講座

連続セミナー「在日」:Cut and Mix特別講座(2003年2月1日)
映画に見る新しい在日像(1)



連続セミナー「在日」:Cut and Mix特別講座(2003年2月1日)
映画に見る新しい在日像(1)



特別講座の第1回目を「映画に見る在日像」と題して、表題の映画を鑑賞し語り合った。その後、コメンテーターとして映像演出家の金聖雄(きむ・そんうん)さんを迎え、その話を呼び水として、映画の話題にとどまらず、参加者それぞれの在日像や、映画に見る在日像との共通、差違を述べあい、大いに盛り上がった。話し合いの時間は2時間に及び、受講者約20名の参加を得た。
以下、鑑賞した映画の紹介およびコメンテーターの話、参加者の感想を報告する。

■『青−チョン』李相日監督作品 54分■
 (以下「ぴあ」の作品紹介から)
朝鮮学校出身・李相日監督の映画学校卒業制作作品が劇場公開
舞台は朝鮮学校野球部で、ワル「俺って何者!?」
「青〜chong〜」は日本映画学校の卒業制作としてつくられながら、鮮やかな語り口、テーマの新鮮さ、緻密にして軽やかな「画(え)」で 圧倒的な支持を集め、昨年度の「第22回ぴあフィルムフェスティバル/PFFアワード2000」でグランプリを含めた4賞を受賞。完成度の高さからそのまま一般公開が決定した、きわめてめずらしい作品である。
主人公の楊大成(ヤン・デソン、眞島秀和) は朝鮮高校に通う在日朝鮮人。野球の練習に明け暮れながらも、友達とつるんで他校の生徒とケンカしたり、電車に向かいに座った女の子のミニスカートをのぞいたりするワル。朝鮮人として誇り高く生きよ、と教えられてきたテソンは、姉が恋人の日本人と結婚しようといていることや民族楽器を弾く幼なじみの尹成美(ユン・ナミ、竹本志帆)の恋人も日本人だと知り、おもしろくない。そして高野連に朝鮮学校の加盟が許可され初めての公式試合で日本人学校にボロ敗けして自信をなくす。俺っていったい何なんだ!?
題名の『青〜chong〜』は、「青春」の“青”という意味と、「青」を朝鮮語で「チョン」と発音し、かつ日本人の朝鮮民族への蔑称「チョン」とかけてつけられた。はじめ監督は「chong」だけの題名を考えたそうだが、日本人スタッフから「それでは恐くて撮れない」と言われこの表記になったそう。

■『大阪ストーリー』中田統一監督作品 1時間15分■
(以下CinemaScape−映画批評空間−ホームページより)
大阪ストーリー (1994/日)[Documentary]
製作 松元一郎 / 中田統一
監督 中田統一
撮影 サイモン・アトキンス
あらすじ
映画の勉強の為にイギリスに留学している監督が、3年ぶりに大阪の実家へと戻り、自分の家族にカメラを向けるところからこの映画は始まる。難波で金融業を営んでいる在日韓国人の父、その父の経営するパチンコ店を手伝いながら苦労を重ねてきた日本人の母。一見よくありそうな在日の家族。だが父には韓国にもう一つの家族があった……。監督自身もカミングアウトしたい“ヒミツ”を胸に抱きながら、複雑な事情がからみあう自分の家族の実像をユーモアを交えながらカメラに収めていく、ドキュメンタリー映画。(1994年シカゴ国際映画祭ゴールド・ヒューゴ賞、1994年バンクーバー国際映画祭審査員特別賞、1994年国際学生映画祭グランプリ他) (ハイタカ)

■コメンテーター 金聖雄さんの話■
 『潤の街』(1989年、金佑宣監督、金秀吉・金佑宣脚本)までは主人公のキャラクターを出すというよりは、全体としての在日像がこめられていたように思う。『月はどっちに出ている』(1993年、崔洋一監督)から、今までボヤーッとしていた在日像が、個の部分に入っていったように感じていた。今回の『大阪ストーリー』『青−チョン』をはじめ『GO』(2001年、行方勲監督、宮藤官九郎脚本、金城一紀原作)など、このあたりから在日像という言葉があてはまらないようになってきたのか……。
今までは「在日」が先にあって、作り手も見る側もそれを前提にみていた。一方エンターテイナーとしての映画があり、その中に在日がある、そんな映画が登場するのには大夫時間がかかったような気がする。他方「アンニョンキムチ」などはこんな撮り方もあったのかと思わされる手法も出てきた。
 『青−チョン』ではその構成する要因の中に「朝高」がある。自分は大阪で日本の学校を出たが、その自分のイメージからすると「朝高」は怖かった。映画の冒頭のように、「朝高」の伝説、エピソードは多かった。当初は怖かったが、今から考えるとユニークでもある。そういう「朝高」を経験した人間が作り手に回って映画のシーンを盛り上げているのかと思う。ちょっと前だったら、朝高を「笑い」の対象にはできなかった。
また、『大阪ストーリー』では鶴橋の商店街の映像があった。自身もそこでの撮影の経験はある。昔だったら「なにをしてるんや」と商店街の人に怒鳴られていたかと思う。かつては鶴橋の商店街といえば汚いイメージもあったが、最近では観光スポットのようにみんながこぞって向かう。在日も変わったので、受け手も変わってきたのではないか。今、川崎で在日一世のハルモニたちのコミュニティを撮っている。八畳の部屋に朝、昼、晩と集まってくる。その場所を中心に既に3年間撮り続け、編集作業の段階に入っている。そんな映画の話も紹介したい。
 ハルモニたちも、昔は写真すら撮らしてもらえなかった。ましてや過去のことを語ってもらうなどできなかった。そこで集まる年代は80代(70〜90代までいる)中心の集まりだが、今までは彼女たちが映像に登場するときは過去の証言者としての像を期待されていた。しかし、現在の彼女たちの姿は圧倒的なパワーと個性で光り輝いている。今まさに解放されている感じであるが、一方ハラボジたちのほうではそうでもない。在日の女性であるからそうなんだということではない。ある時代を生き抜いてきたことから身に付いたパワーだと思うし、それらをハルモニたちの見せる仕草に感じる。 彼女たちの過去の話ではなく、夢や未来を映し出すことができればという希望をもっている。
映像を撮るときに、製作者側としては今はなんでもできるというおもしろさがある。新しい「在日像」ということばでも括りきれなくなっている。そういう意味では『大阪ストーリー』にはすごくシンパシーを感じる。商店街での商品とお金のやりとりでの掛け合い。一世の父が金を万単位で配る。かつてはそういう場面では笑えなかった。映像をストレートに受け取っていた。『大阪ストーリー』、『青−チョン』も彼らしか作れなかったものを映像に焼き付けている。李相日さんも今までいえなかったことを詰め込んでいるのではないか。そういう「〜像」でなく、個としての思い入れが結果として共感を呼び、普遍性を持つ。確かに、映画の部分部分では違うのではないかと自分の思いとはずれる部分もあったが、トータルではおもしろかった。
 
■参加者の感想から■
○『青−チョン』映画は面白く、『大阪ストーリー』は笑っていいのかどうかわからなかった。対照的な映画だった。恋あり、スポーツありの『青−チョン』。空が何度も映る。映画上映館であれば、もっと青い色が映えたのではないかと思う。屋上のシーンが記憶にのこる。伸びやかで、さわやかさを感じた。そして『大阪ストーリー』のえげつなさ。誰も居場所が無い感じ。バブルの時代の話のせいか、お金は絶対ではないと言いながら執着している。今までの在日像とは違う。歴史をあまり背景に捉えない作り方。家族を中心に背景から在日が浮かび上がる。
○『青−チョン』の方は息子が先に見て、面白いと誘われた。ある意味では衝撃的で『潤の街』の金秀吉さんとは違う世代。『大阪ストーリー』はパチンコ店や、貸し金、ゲイなどさまざまなことを重ね合わせながら次々とみせていく。自分の周りにはそういう人たちがいるのでなんとなくわかったが、普通の日本人が見たら難しいかもしれない。金聖雄氏も言ったが、あそこまで踏み込んで家族を撮ってしまうのはすごい時代になった。
○『大阪ストーリー』のああいう家族構成は割と多い。成功した在日の典型として私の周囲にもいる。一般から見ると在日の中では成功者と言われるが、家族のことなど多くの問題をはらんでいるのを見る。成功者は概してワンマンであり、あの映画は淡々としたリズムでその点をよくあらわしている。
○在日も日本社会の豊かさの社会の恩恵を受けている。
○ドキュメンタリーには手法がある。見る側としてはこれが真実だと真正面から受け止めるのはどうかと思う。大阪ストーリーを見て3回目になる。お袋さんが不満げな口調でいうのが伝わってくる。中田さんも見る側にはそこでほほえましく感じ取ってほしかったのではないか。これからの作品で「在日」を正面に出すのは難しい。(コメンテーター)
○二つの映画で共通しているのは結婚だ。大阪ストーリーで日本人と結婚している姉は勘当されており、自分も娘が二人日本人と結婚した。一人ぐらい同胞と結婚してくれないかなと願望を持つ程度だ。
○在日として自らが抑圧された者としても、その抑圧を自らが妻にしている。いつも女性が押さえつけられている。
○戦後の混乱期を生き抜いた両親に対して反発するが乗り越えられない。中田統一さんはイギリスの映画学校の卒業制作。第2作をとっていない。畏怖する父親を乗り越えられるのか。
○大阪ストーリーはとりたてて議論するものはなかった。そもそもそんなにひどい父親ではなく、よくある話だ。中田さん本人もイギリスに行き、娘も医者で、子どもたちを立派に育てている。夫婦の問題に子どもが口を挟むのはどうか。子どもにとっていい父親でないことと混同していないか。『青−チョン』は単純におもしろかった。いいところはある意味自分をネタに使うクレバーな人と感じた。ネタに使いながら斜に構えている。ネタ自体は外から見ると偏見そのものである。
○『アンニョンキムチ』『大阪ストーリー』を自宅でみて、在日というより家族の問題だと感じた。他人の家族をみるようでつらかった。『アンニョンキムチ』には在日があるが、『大阪ストーリー』は家族が表で、在日は背景にある。統一の名前は南北ではなく、家族だったのではないか。
○ドキュメンタリー「在日」の助監督をした。歴史編、人物編とわけたが、人物編では圧倒的に一世がおもしろかった。時代が動いたときほどおもしろい。誤解を恐れずにいうと、世代が交代するにつれ、だんだんつまらなくなっている。3世になってくると「在日」という枠がだんだん分からなくなってきた。「在日像」で捉えるのは意味が無くなる。今後は「在日」を語らない「在日」が楽しみだ。(コメンテーター)

●発行●2002年2月14日
●編集●金 弘 明/洪 貴 義/佐藤信行