在日本韓国YMCA連続講座Cut'n'Mix

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  • <2010/10/26>第3期の記録をアップしました。




Cut and Mix通信 7号

「コリア・在日・日本」連続セミナー2002〜2003



連続セミナー「在日」:Cut and Mix第7回講座
李鍾元さん「南北統一・在日・日本」

関正則 「理念としての東アジアの未来は失われたのか」
伊藤浩美 「第7回講座に参加して」



李鍾元さん「南北統一・在日・日本」

理念としての東アジアの未来は失われたのか
関 正則

「何のためにピョンヤンまで行ったのか。自分のしたことの意味がわかっていなかったのか。」1月14日の帰宅後、その日小泉首相が突然靖国神社に参拝したことを知り、私は言い知れぬ怒りと失望を覚えました。昨年の日朝首脳会談以後、日本では拉致問題一色の北朝鮮バッシングによって、日朝国交交渉は全く膠着状態のままでした。小泉氏の訪朝はおそらく、日本が戦後初めて東アジアの平和と安定のために外交的イニシャチブを発揮するチャンスだったはずです。たとえ、日本の植民地支配の賠償問題が「経済協力」という日韓条約方式まで後退しているとしても、国交交渉の過程で「過去の清算」がいかにあるべきかを国民的な議論として行うことは可能なはずでした。「拉致問題」過熱の背景には、そうした日本の過去への反省を抑圧し、加害者の歴史から被害者の歴史へと歴史を歪曲しようとする欲望の存在が明らかでしたが、国交交渉の可能性はまだ残されていました。しかし、小泉氏の靖国参拝によって、日朝交渉が本来持っていた歴史的意味、すなわち東アジアにおける過去の清算と未来への構想とを、同時に日本が率先して語り得る最後のチャンスは、小泉氏自身の手で握りつぶされてしまったようです。彼は自らが行った首脳会談のもつ政治的可能性と歴史的意味について何も考えていなかったのでしょうか。日本国民は、他国の政治指導者をあざ笑う連日のメディアの狂乱に興じる前に、自らの政治指導者の愚かさにも思いをはせるべきでしょう。
今回の国際政治学者である李鍾元さんの講演は、こうした東アジアの「理念としての未来」を語る機会を取り逃がした私たちが、どのような「現実としての未来」に直面しているかを教えてくれるものでした。誰もが知るように国際政治学には、理念的アプローチと現実的アプローチがあります。今回李さんのお話が現実的アプローチに傾斜していたこと自体、東アジアの政治を理念として語るチャンスを失い、そのことを非現実的にしてしまった今の状況の反映なのだと文字通り痛感させられたのでした。
李さんは、静かに自らの過去から語り始められました。学生時代、民主化運動に参加し投獄された時、隣の独房にいた「在日」の人が語る「統一」への違和感。来日され結婚相手が「在日」であるだけで「北のスパイ」の嫌疑を懸けられると反対された話……。そうしたエピソードは、一人の人間が朝鮮半島に生まれただけで、この数十年の間どれほど過酷な政治的暴力に立ち向かって生きなければならなかったかを示しているようでした。今、多くの日本人が「後知恵」だけで、あたかも自分たちの歴史と無縁なもののように北朝鮮の過去を裁き、現在を愚弄します。李さんが、まず自らの過去に触れられたのは、一人一人の過去も含めた歴史を語ること抜きに、朝鮮半島の現在や未来を語ることがいかに浅薄なことかを明らかにしているようでした。あるいは、冷徹な現実を語る前に、自らの理念を語ろうとされたのかもしれません。それほど、後半の李さんの東アジアの未来への見通しはきわめて厳しいものでした。「最悪のシナリオ」として、アメリカの無策が続けば北朝鮮の核武装が進み、それに日韓台が核武装で応じるという「核武装の連鎖」を、今のアメリカなら「容認」するかもしれない。そうなれば、東アジアに核とナショナリズムで武装した「恐怖の均衡」が訪れる可能性があるというのです。
東アジア全体が内戦と独裁に苦しむ冷戦時代を、日本はアメリカの核の傘の下であたかも平和と経済成長の時代であるかのように生きてきました。そのツケが数倍になって帰ってこようとしているのでしょうか。冷戦時代に身につけた歴史の忘却癖と政治的構想力の欠如が、今回の日朝交渉の挫折をもたらし、その結果が、世界的な脱冷戦の時代に、東アジアにおいて冷戦時代を上回る「恐怖の均衡」を招くことになるかもしれないのです。
あたかも「不良債権」のように、日本国民の東アジアにおける歴史的・政治的責任は返済できぬ「債務」のままにさらに大きく膨らむのかもしれません。日本国民の責任は限りなく大きいと言わねばなりません。
李さんは最後に、韓国が盧武鉉新大統領を選んだように、韓国人であるわれわれは、政治は自分たちの手で変えられると信じてきたし、事実変えてきた。どうして日本人にはそれができないのだろうか、そのことは日本人に考えてほしいと言われました。この問いには、もちろん不毛な日本人論によってではなく、日本の政治を変えることによって答えるしかないのです。私も「東北アジア共同の家」を出版理念として掲げる出版人として、自らこの問いに答えていきたいと思います。
1月30日、私のような日本人にとってすらやりきれない状況のなか、50人を越える多くの在日韓国・朝鮮人、そして日本人が、李鍾元さんの講演に参加しました。

第7回講座に参加して
伊藤浩美

 昨年の9月17日以降、にわかに北朝鮮に関する報道が過熱するようになった。それまでは、ほとんど語られることがなかった、あるいは語ることをタブー視されてきただけに、その後の状況は異常に思える。何といっても、北朝鮮自体、情報がコントロールされている国ゆえ、私たちには実情が見えにくい。しかも、日本国内のメディアで報道される内容は、「ならず者国家」的側面ばかりが強調されがち。いったい北朝鮮で今何がおこっているのか、今後どうしていきたいと考えているのか理解に苦しむというのが正直なところだった。
 私自身、2000年秋から2年間、韓国・釜山で暮らし仕事をしてきた。その間、李秀賢さんの事故があったり、歴史教科書問題や首相の靖国神社参拝問題が浮上したり、サッカーのワールドカップが開催されたりと、さまざまなレベルで日韓の話題がつきることがなかった。日々、韓国社会でおこる身近な出来事ともあわせて、韓国人が持つ日本、日本人へのまなざしがいかに複雑であるかを実感させられる時間だった。
 韓国で生活しながらも、私にとって北朝鮮は相変わらず見えない社会であり続けた。そして私の帰国直後、首相の訪朝が決まり、その後、大々的に北朝鮮との問題が報じられるようになったのである。
 今回、『南北統一・在日・日本』というテーマでの李鍾元さんのセミナーで、もやもやした気持ちが少しずつ解きほぐされていく気がした。拉致問題に対する感情的な態度だけが肥大化しつつある中で、北朝鮮、そして世界の動きに関心を寄せつつ、いかに冷静に思考し、行動するかが求められている。そして、個々人に何ができるかを問い続け、小さなことからでも行動をおこすこと――そんな思いが私の中で湧き上がった。
 自分が帰属する国家を思う気持ち(あえてナショナリズムとはいわない)とどう向き合っていくのか。排他的、攻撃的ではない方法で、その思いをあたためることは可能なのか、今こそ私たちに問われている気がしてならない。
●発行●2002年2月14日
●編集●金 弘 明/洪 貴 義/佐藤信行