在日本韓国YMCA連続講座Cut'n'Mix

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  • <2010/10/26>第3期の記録をアップしました。




Cut and Mix通信 1号



連続セミナー「在日」Cut and Mix 始まる



連続セミナー「在日」Cut and Mix 始まる

 連続セミナーの「オープニング講座*上映&ト―ク」が11月2日、午後2時から在日本韓国YMCAの9階ホールで開催された。参加者は学生・青年ら41人、うち在日コリアンは18人。

●「在日親子」
 最初に、TVドキュメント「在日親子―日本で生きるということ―」を上映した。これは監督・井ノ川泉さんが制作したもので、2001年9月22日にフジテレビで放映された。郭鍾洙(カク・ジョンス)さん・張連淑(チャン・ヨンスク)さん家族と、゙東絃(チョ・ドンヒョン)さん・高英姫(コ・ヨンヒ)さん家族の日常の「生活」と、在日三世の子どもたちの「思い」を描いている秀作である。この45分の作品は、「在日が在日であることによって起こる摩擦と抵抗の記録であり、個々人の摩擦と抵抗、世代間の対話を記録することで、在日社会、日本社会を裏面から炙り出すことに成功した」(洪貴義)と言えるだろう。この二家族は、在日コリアンの現在の家族(二世の親と三世の子ども)の、ごく平均的な姿を示しているわけではないが、在日二世としての親の思い、それに反発しつつも自らのアイデンティティを問い続ける在日三世の思いが、率直かつ真摯な言葉として語られていく。
 作品の最後には、監督の井ノ川泉さんの言葉が流れる。「民族のアイデンティティをしっかりもちつつ、日本社会の中で地に足をつけ、前向きにしなやかに生きている在日三世。一世・二世とは価値観・生き方もちがう新しい芽が育ってきていると思う。その芽をのばし太い幹とし、共に大輪の花を咲かせることが私たちにできるだろうか」。ここでの「私たち」とは誰か――日本社会? 在日コリアンと日本人? そのことを、見おわった者に問いかけてくる。

●「多様性と可能性」
 ビデオ上映のあと、「在日の多様性と可能性」と題して、洪貴義(ホン・キウイ)さん、鄭暎恵(チョン・ヨンヘ)さん、金弘明(キム・ホンミョン)さんが話した。そのあとリレートークとして、在日三世の学生と青年たち、孫明修(ソン・ミョンス)さん、李善幸(イ・ソネン)さん、゙銀河(チョ・ウナ)さんが話した。当初、会場参加者を含めたフリーディスカッションを予定していたが、時間切れ。ごめんなさい。以下、それぞれの話を“独断”と“偏見”でまとめてみると――
【鄭暎恵さん】
 日本経済新聞が愛読紙である。はっきり言って右寄りだが、しかし、経済は嘘をつかない。今日の朝刊を読むと、日本の公的債務は国と地方公共団体のものをあわせると、3333兆円という。金利も含めて自分なりに計算すると、〜年か後には一人2億円の借金を背負うことになる。いま社会を変えなくてはいけない。そのために知恵を絞り出さなくてはいけない。何が不満なのか潜在的なニーズを探り出し、みんなに喜ばれるものを考えることが必要である。つまり、「社長」の生き方だ。しかし、それはよく考えると、在日の生きたかに似ている。したがって、自分の(大学の)クラスの学生に「在日のように生きろ」と言うと、眼を輝かせている。たとえばどんな生き方かと言えば、知り合いに趙健治「ちょう・けんじ」がいる。彼は宮古島に行って、ここは地上の楽園だと思った。そこには3000メートル級の滑走路がある。地元の人もそれを使いたいが、米軍には使われたくない。彼は宮古島の環境に優しいリゾート開発を考える。また、そこにはハンセン病の施設があり、現在ではその中では元患者も住んでいるが、あいている住居施設もある。それを利用した開発を考えている。このような生き方に、「在日の可能性」がある。
【孫明修さん】
 NGOに関わっている。また、翻訳をして生計を立てている。
 「在日の可能性と多様性」ということで事例をあげてみたい。小学校までは民族学校で、中学校から日本の学校に進学。その時、同じ地域でいじめによって自死した子がいる。自分も中学に入る前は、日本人は敵だと思っていた。中学での先生との出会いが、自分にとって日本人を根底に置いて信じている。
 ビデオの中で、名前の件でフニ君の父親の考えは、フニ君にとって押しつけに思えるわけだが、祖父の体験を伝えられることによって、理解するようになる。こうあるべきだという価値観の背景は何なのか、ということを考えることが重要である。しかし、在日三世たちが歴史的な経験にアクセスすることが難しい。博物館、歴史館など、まだまだ少ない。
 ある一つのテーゼのみを公式的に伝える旧来の団体は、父権的で押しつけがましい。コリアン・コミュニティの中にNPO団体を作りたい。人は団体のためではなく、人として生きるために団体があり、そのための道具である。「〜こういうものがあったらいい」と思ったら、起業すればいい。あるいは、プロジェクト重視のグループを立ち上げればいい。地域のコミュニティーは崩壊している。そういう共同体が壊れていても、困ったときに相談したり、助け合ったりする新しい共同体が必要だと思っている。
【李善幸さん】
 大学2年生。インターネットの普及と共に、世界の壁が取り払われていると思う。しかし、それらはきっかけであって、本質ではない。私にとって在日韓国人の定義は重要である。在日韓国人である自分は、日本で何をすべきかと考える。YMCA、民団の子どものキャンプのプログラムに関わり、日本とはなにかと考える。この疑問の答えを見つけだす以前に、なぜアイデンティティが必要なのかを問い返す。韓国の言葉、文化、歴史を知らない韓国人である。そういったものに自然に触れあう機会が必要である。自分にとっては在日本韓国YMCAの土曜学級がそれであった。仲間を作り、民族の歴史、文化に触れることは重要であった。通常まわりには触れあう関係はない。今でも在日の子どもたちには相当のストレスがあると思う。この社会では圧倒的な少数者だからだ。ルーツを持つ、韓国の文化を肯定的に受け止める状況が必要である。土曜学級では関わっているリーダーは在日、日本人、韓国の留学生で、よく議論になる。そこではものごとを主観的でなく客観的に捉える機会があり、自分が考えてもいなかったことに気づかされることがある。在日韓国人であるアイデンティティを考えることで、在日、日本、韓国、世界の人権の問題に連なることができる。また韓国と日本の架け橋になれる。グローバル化のみを目指すわけではないが、避けて通れるものではない。在日におけるグローバル化とは何なのだろう。それは他国との文化の架け橋である。自分にとってグローバル化は世界化ではなく、各国の文化を大切にするためのものである。自分にとって「日本で生まれた在日韓国人」から、すべてが始まる。
【゙銀河さん】(ビデオ「在日親子」の中でも゙・高一家の長女として登場)
 (ビデオに出ていた)郭フニ君からメールがあり、11/10、17にキンキキッズの討論番組に出る、とのこと。
 日本人でないことを感じたことは、小6までは民族学校にいたことだと思う。(日本の)中高でそう思い返されてきたものは両親である。父の言葉として「自由にできず、いつも制約があった」「自分たちを踏み越えていけ」。そんな中で育ったので、朝鮮半島の問題に関心を持つのは自然だった。名前で恥ずかしいと思ったことはない。名前負けしていると周りに言われることもあるが、自分の名前を気に入っている。中学校で舞踊を文化祭で披露したときに大受けしたことなど、体が震えるような喜びを感じた。しかし、そういった民族性は自分が構築してきたわけではなく、両親から受けただけで、自分で考えたわけではないと思い、精神的に苦しいときがあった。そんなこともあって「韓青連」に関わり、自分でつかみだした在日というものを感じている。8月に1カ月間、韓国に語学留学した。親の言葉を振り返ってみると「自分は曖昧な存在」、あえて良く言い換えてみると、「コスモポリタン」かもしれない。確固たるよりどころはない。しかし、自分は迷ったときには両親に戻る。現在、父親は「済州島4・3を考える会」の会長をやっている。両親からもらったことをどのように受け継いでいくか、それは言葉であり、朝鮮半島に関心を持ち続けていくことだと思う。

●連続セミナーがめざすもの
 コーディネーターの一人、洪貴義はこう語る。
サッカーの試合で、HomeとAwayという言い方がありますが、在日とはまさに、日常生活そのものがアウェイで試合を行っているようなものではないでしょうか。私はそこから生まれる考えを「アウェイの思想」と呼んでみたい。そしてホームではなく、アウェイにいるからこそ、「切れてつながる」実践が生まれてくるのです。「切ってつなげる/切れてつながる=Cut and Mix /Cut‘n’Mix」の意味を、「在日」に即して考えてみると――、
「在日朝鮮人にとって<朝鮮>とは「在日」のことなのだ。「在日」を生きることに、若い在日朝鮮人世代達よ、確信を創りだそう。固有の伝統習慣から切れているからといって、それがただちに負い目となるのではなく、本国にすらないものを私達が持っているのであり、それが持ちこまれることによって豊かになるべき伝統を、習慣を、はては思想までをも、私達は創り出すべき「在日」のはじまりに据えるとしよう。本国に似せて<朝鮮>に至るのではなく、至り得ない朝鮮を生きて<朝鮮>であるべき自己を創りだそう」(金時鐘『「在日」のはざまで』1976年 平凡社ライブラリー)。
 この在日朝鮮人詩人・金時鐘(キム・シジョン)さんの言葉は、イギリスにいるジャマイカ人たちの文化運動とも切り結ぶ。
「英国で生まれ教育を受けた二世たちは、親たちと違って、与えられた下位の社会的地位と狭い選択を甘んじて受けようとはしなくなり、自分たちの黒さについて、多くの人々が信じている定義を疑わずに放置しておかなくなった。レゲエを中心にして、そのまわりに、別の文化、別の価値観、別の自己定義が集合した」(ディック・ヘブディジ『サブカルチャー』原書は1979年、翻訳は1986年、未来社)
 世界中のアウェイで暮らす「二世」たちが、多様な文化実践を試みはじめたのはまさに世界同時的な出来事でした。そして現在さらに大きく変貌しつつ、「在日を生きる」新世代たちが登場し始めている。私はそこに大きな希望を見ることができます。個人/家族/地域/社会/国家/北東アジア/世界/地球……それぞれのレベルで、Cut n Mix を考える=行動する。連続講座のさまざまなテーマ自体とも「切れてつながる」ことを実践し、新しい出会い、新しい問いを発見することをめざしたい。この連続講座そのものがまさにそのようなカットゥンミックスの実践なのです。

 もう一人のコーディネーター、金弘明はこう語る。
「語られてこなかったこと」について――世代交代、国際結婚が進んでいる現在、在日社会を一つにくくることはできない。もっとも、そもそもが一つに括ることのできた時代などあったのだろうか。しかし、細かな形の違いはあれ、どこかしら共通する体験は確実に持ってきたと思う。そのうちのいくつかは政治や歴史、人権や文学などを通して現れ、語られてきた。しかし、語られてこなかったことも多かったのでないか。そういった側面についても取り上げてみたい。
「コミュニティ」について――自分が住んでいる場所という意味ではなく、自らのアイデンティティを確認でき、他者のアイデンティティを認める空間や場所、グループが求められているのではないか。経済的な価値観が崩壊している今、日本人にとってもそれらの価値観とは離れたところでのアイデンティティを模索し、他者と関わり、コミュニティーを作ろうとしているのではないか。そんな中で自らが何者であるかを問うてきた在日コリアンをはじめ、この社会の中の少数者だった者が多様性と可能性を探り実感できるのではないかと思っている。