ナショナリズムを超えて―切れてつながる試み、再び
「切れてつながる」とは、ある在日朝鮮人詩人の70年代の言葉だが、それは在日の孤立した言葉ではなく、世界の諸領域の様々な文化実践と呼応しあうものだった。すなわち例えばカリブ海諸島からロンドンへ、あるいはジャマイカからニューヨークへという移動の経路を表現しようとするCut’n’ Mix (切れてつながる)という実践と共鳴しあう世界普遍的な思想だったのである。
自らのアイデンティティや文化を祖国としての根源的なrootsに固定するのではなく、移民や離散、移動のプロセス、経路というroutsとして表現しようとすること。そのような実践こそがわたしたちの試み、この連続講座の「切れてつながる試み」だ。
第1回講座は去る5月19日、岩渕功一氏(早稲田大学/メディア・文化研究)による「越境文化の対話力:ブランド・ナショナリズムを超えて」という講演が東京で行われた。簡単に報告しておこう。
かつての「国民国家論」はすでにその役割を終えている。グローバリゼーションのもとで国家が衰退し相対化されていくという予測は、安易な希望的観測だったことが今や明らかになっているからだ。それに対して現在台頭しているのは「ブランド・ナショナリズム」という新たな国家主義である。わたしたちはまずこのナショナリズムのブランド化を直視しなければならない。その上でそれを単に否定するのではなく、具体的に超えて行く想像力や実践を前景化させていくべきだろう。
こう岩渕氏は話し、都市やコスモポリタニズムの可能性に言及しつつ、国家より大きいと同時に小さくもある公共性を目指す文化市民権を実践していくことを呼びかけて講演を終えた。
話のあとは、質疑応答と交流会を持ったが、参加者の発言がまた興味深いものだった。わたし個人は公共性と同時に親密性にポイントを置くが、それは具体的他者との出会いやつきあい、国という単位ではなく、地域での様々な試み、子どものときからの記憶などがナショナリズムを具体的に超えていく批判的テコになると考えるからだ。交流会での発言者のそれぞれが、その人なりに具体的な課題を抱えながら「日々の仕事」(ウェーバー)に就いている、1人1人の話はそのことをはっきりと示していた。これがわたしたちの新たな希望の種子になることを予感させる、この日はとても喜びに満ちた一夜だった。
「切れてつながる試み」はこれから1年間続いていく。読者には企画への注目とご参加を呼びかけたい。新しいCut and Mixはあなたが作り上げていくものなのだから。
(洪貴義)
インターネット新聞「JanJan」掲載記事より抜粋 http://www.janjan.jp/living/0605/0605234835/1.php
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