Cut and Mix通信 第3号

「コリア・在日・日本」連続セミナー2002〜2003

 

 

●発行●2002年12月6日

●編集●金 弘 明/洪 貴 義/佐藤信行

 

連続セミナー「在日」:Cut and Mix第3回講座

「在日朝鮮人の生活空間と意識」

報告

  ●外村  大

   当日の講座では、司会の佐藤信行さんから「外村さんのことは学生時代から知っていて……」と紹介をいただいた。確かにこちらも学部生時代から佐藤さんを知っていて、ということは、十数年間、在日朝鮮人問題のあれこれと関わって研究を続けてきた(現在は、パートタイムの研究者で、しかも「引きこもり」気味だが)こととなる。

愚痴を言うようで格好悪いが、やはり、アカデミズムの世界と関係しながら、このテーマで研究を続けることはそれなりにしんどいこともある。そもそも、80年代末、90年代初めはまだ、在日朝鮮人に関する研究をメインにすえて取り組んでいる研究者は少なかった。それに、一国史の枠組みがあるなかでは、「日本史」の場でも、「朝鮮史」の集まりでも、在日朝鮮人の歴史を研究している自分は何か居心地の悪さを感じる時があった(日本社会でも、「本国」でもちょっと違う存在とされる在日朝鮮人の居心地の悪さとはもちろん、比較できないものであろうが)。

 それでも研究を続けてこられたのは、一つには在日朝鮮人の歴史は、日本史や朝鮮史という枠のなかの「添え物」ではなく、世界史的に見ても普遍的な問題を含むだろう、という見通しによるだろう。と同時に、単純な話であるが史料を通じて見えてくる在日朝鮮人の生活がとても興味深く、魅力的である、といったことが大きく関係していると思う。

 私のとってきた研究の手法は別に特殊なものではなく、できるだけ史料(それも在日朝鮮人の残した資料を中心に)を広く収集して歴史を再構成していこうというものである。それによって、これまで見えて来なかった(見てこようとしなかった)様々なこと、研究者の思い込みを壊してくれるような事実を見出してきたように思う。

これは別な言葉で言えば、在日朝鮮人についてあれこれ論じた文章は多いけれども、基礎的なデータに基づいて考察したものは意外に少ないということでもある。官庁が公表している資料を加工すればわかるといったレベルの統計も整理されないまま色々なことが論じられていたり、逆に少ない資料からあたかもそれが一般的な傾向であるかのように結論を導き出しているケースは少なくない。

そんなわけで、在日朝鮮人について論じるには(アカデミズムとは別の世界で研究が出発し、民族差別への反対や民族文化の尊重といった現実的課題と関わっているからこそ)、愚直に基礎的なデータを集めて分析する必要があることを常々感じてきた。

 前置きが長くなったが、当日の講座では、そうしたことから、統計資料等データを生のままで出した説明が中心となってしまい、反省している。具体的には次のようなことを指摘した。@戦前においては、故郷との紐帯を維持し、民族的な需要に対応した各種商業サービス業、情報流通の機能を持つエスニックコミュニティが一部に形成されていた。Aそのことを背景として、民族解放を展望した帰国志向だけではなく、日本内地で朝鮮人として生きる、あるいは単純に帰国か定住かではなく朝鮮人としての生活を続けようとする人々など多様な意識があった。B戦後も戦前からの集住地が一部存続したが、朝鮮半島との紐帯流動性が薄れたことを背景に朝鮮人向け商業サービス業が衰退した。C戦後直後の在日朝鮮人の意識は単純に帰国・建国志向一色ではなく、朝鮮人であり日本社会の構成員という意識も相当あった。D日本人の側も朝鮮人も日本社会の一員という意識が戦後もまったく消えたわけではなかった。Eしかし、朝鮮戦争・サンフランシスコ条約を前後して、日本社会イコール日本人が構成するものという意識が社会的に確認される。Fそれと対応する形で朝鮮人の意識も祖国指向型ナショナリズムに収斂していき、「日本は仮の宿でいずれは祖国に帰るべき存在、と整理されていく。Gそのような意識は1970年代を画期に転換していく。

 報告に続いて、若干の質疑があった。あまりうまく答えられなかったが、戦後から1950年代のナショナリズムの動向を内外の諸情勢からより緻密に整理すべきこと、独立論から復帰論に向かう同時期の沖縄民衆の動向も視野に入れるべきことなどは私自身としても課題としていきたい(日本の少数民族という位置づけから「本国」への帰属を強調する、という動きを示した在日朝鮮人とは正反対であるが、一国一民族で整理していこうという点では共通している)。また、アイヌ民族に対する戦後の認識なども踏まえる必要があろう。

 蛇足であるが、在日朝鮮人関係の研究は、研究する人が増えてきた割には議論が少ないような気がしている。もちろん、議論は研究者だけの世界に閉ざされるべきものではないので、今回の講座のような機会があれば、積極的に参加していきたいと考えている。

 

1950年代の日本社会と沖縄人・朝鮮人の位置

―外村大氏の講演を聞いて

 

●戸邉秀明

 

 外村さんは講演の冒頭で、大学院で日本史研究の学科に籍を置いて在日朝鮮人史を研究してきたことからくる“身の置き所のなさ”とでもいうべき心情を語られた。しかも今回の講演にあるように、朝鮮人の近代の軌跡を、民族運動を主体にして論じる従来の方法への違和感から研究を出発させた以上、朝鮮史という選択も、外村さんの関心とくいちがう。

 現代史研究を、沖縄を根拠地として進めたいと考える私にとって、外村さんの“身の置き所のなさ”は、以前から近しいものに感じてられてきた。単純な同一化はできないにしても、「日本史」の枠に収まらない沖縄の歴史を、いまなお歴史的分析を軽視されがちな現代史から見通そうとすると、やはり従来の「日本‐現代‐史」では居心地が悪い。門外漢ながら、外村さんの研究に関心を寄せ続けてきた所以である。

 今回の講演の内容は、従来の日本現代史、さらには沖縄現代史の認識をも壊す、重要な問題を提起していると感じた。以下では講演に触発されて浮かんだ発想を、「在日」という言葉にことよせて簡単にまとめ、今後の議論の叩き台としたい。

 「在日」とはいつから在日朝鮮人に対してのみ使われる言葉となったのだろうか。これには様々な要因が考えられるが、現在のような用法に落ち着いたのはおそらくそう古いことではない。外村さんが報告の最後で展望した時期、1970年代以降の新しい朝鮮人世代の主張と運動、およびマイノリティをめぐる国際的な関心の高まりによって、徐々に浮上してきた認識ではないだろうか。けれども、「在日」という言葉の用法を考えるとき、私は米軍占領下の日本社会において実態として存在した二つの「在日」(朝鮮人と沖縄人)社会をまず想起する。

 45年11月に結成された沖縄人連盟自体、その名称に在日本朝鮮人連盟の影響が認められ、事例は少いながらも両者の関係が存在した(新崎盛暉氏・冨山一郎氏等の研究による)。また日本在住の沖縄人が発行した紙誌では、50年代初頭まで自分たちを「在日」として呼称する事例が確認できる。詳細の検討にはGHQ・日本政府の両者に対する管理政策等の比較も必要だが、当時の両者が、従来考えられている以上に接近していることは重要である。

 では、この複数の「在日」がどのように在日朝鮮人と同一視されるようになったのだろうか。認識上は前述のように高度経済成長後の転換が大きいようだが、その前提として、今回外村さんが指摘された1950年代の日本社会の動向を視野に入れる必要はないだろうか。朝鮮戦争の衝撃、日本「独立」前後の逆コースと排外主義の高潮によって、50年代前半までに、この二つの「在日」社会は、いわばまったく逆の方向で「祖国」を求めるようになる。誤解を恐れずに整理すれば、朝鮮人は朝鮮半島の「祖国」(ただし二つに分断された状態の)を志向し、沖縄人は日本本土を「祖国」として復帰すべき地と選んだ。この対照性には、沖縄人と朝鮮人が日本帝国に包摂され、支配された近代以来の経験の相違が反映している。しかもいずれの志向も、戦後日本社会が「帝国」の経験と責任を忘却し、「単一民族」として自足するためには好都合な状況だったことに注意したい。この点で、二つの「在日」の経験は、ともに戦後日本社会との複雑な相互作用のもとで考えなくてはならないだろう。

もちろん、この二つの社会を過度に相似的なものとみなしたり、それぞれの社会内の容赦ない対立や亀裂をも含んだ多様性を無視することはできない。私の問題提起はなお仮説にとどまる。しかし、沖縄人と朝鮮人の歴史的経験を分断し、その関係を見えないものにしてきた歴史観がある以上、この両者の「戦後」のあり方に、認識上の「橋を架ける」試みが求められているのではないか。

さらに、以上の点を組み入れた場合、日本の1950年代史はどのように捉えられるのか。少なくとも「逆コース―55年体制―安保闘争―高度経済成長」という単線的な通史叙述や、占領期と高度経済成長期に挟まれた「過渡期」という曖昧な認識では到底不充分であることは了解されるだろう。私見では、1950年代は日本における敗戦・占領・独立の特異性、およびそれらを規定する東アジアの冷戦構造に拘束されるかたちで、日本社会がもっとも一国史的に閉域化していった時期と考えられる。50年代は、日本において階級対立という争点軸が現実味を帯び、先鋭化した時期に当たるが、その階級は戦前以来の無産階級ではなく、(総力戦を経た結果)国民や民族として表象された。逆コース下の排外主義だけでなく、社会運動における民族や国民の規定にも、日本社会における朝鮮人や沖縄人の存在を見えにくくする機制が働いていた。社会運動・社会主義における「民族」の問題の検討は、理論問題にとどまらず、「戦後」史の新しい見方によって社会史的にも進めることができるはずだ。

 日本社会が内部から異質性を突きつけられたのは、1960年代後半以降の様々な社会運動とマイノリティからの異議申し立てとの直面によってである。このとき、過去の二つの「在日」社会は微妙に共振する。60年代後半、沖縄人の復帰への意志を収奪するかたちですすめられる返還交渉への批判から、沖縄人自身の同化志向を抉りだし、自立を求めようとする思想が現れた。このときファノン等の著作とともに参照されたのが、在日朝鮮人が精神的な脱植民地化を求める苦闘を表現した同時代の作品や主張だった。しかも儀間進など、参照の契機に、戦時中九州に疎開した際の朝鮮人との出会いを想起する場合もあったことは注目されてよい。

日本社会におけるこの二つの「社会」(閉鎖的・空間的な領域を指しているのではない)は、戦前からの関係を含みつつも、帝国崩壊と冷戦の進行を受けた屈折をへて、今日に至る。沖縄史を考えるにも、日本と沖縄という二者関係に緊縛された認識を超えるためには、在日朝鮮人との関係のあり方を、たとえかぼそい線であってもたどる試みが、今後いっそう要請される。翻っていえば、それこそ新たな(そして切実な)Cut and Mixとは言えないだろうか。

 以上、まったく思いつきに終始したが、こうした議論をあえてしてみたくなるのも、外村さんが提示された新たな「戦後」像の魅力と可能性ゆえである。その射程は、「在日朝鮮人社会」史のみに止まらない。多方向への接続によって、今後の「在日」研究に新たな実りをもたらしてくれるだろう。