Cut and Mix通信 2号

「コリア・在日・日本」連続セミナー2002〜2003

 

 

●発行●2002年11月15日

●編集●金 弘 明/洪 貴 義/佐藤信行

 

連続セミナー「在日」:Cut and Mix第2回講座

山田昭次さん「日本人と在日朝鮮人にある心の壁」

開かれる

 

 2002年11月8日金曜、連続セミナーの第2回講座を韓国YMCA3階会議室にて行った。講演は歴史研究者の山田昭次さん。「日本人と在日朝鮮人にある心の壁――関東大震災時に虐殺された朝鮮人の追悼碑文から見る」と題して、質疑応答を含めて2時間半、予定を30分も延長してお話しいただいた。たいへん興味深い講演であった。以下、山田さんの話を筆者の主観を交えて、簡単に報告したい。

 

 「1923年関東大震災後に朝鮮人虐殺があったことは問題だが、それ以上に、その虐殺後、歴史的過程の中で、民衆レベルでも、政府レベルでも謝罪がないことのほうが問題だ。その歴史には日本人のそして時代の、朝鮮人に対する精神史が現われている。

 1999年9月5日、千葉県八千代市高津観音寺境内において、「関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊の碑」除幕式が行われた。従来このような慰霊の碑は、殺された者を無縁仏として、被虐殺者が朝鮮人であることを明示するのを躊躇してきた。しかしこの高津観音寺の慰霊の碑は、被虐殺者を曖昧にしてきた一線を越え、「関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊の碑」と明示したのである。これは大きな前進だった。他面、越えられなかった点があった。それは虐殺した主体はだれか、虐殺者はなぜ朝鮮人を殺したのか、なぜこの地に「慰霊の碑」が建立されたのかについて、碑文は刻まれてなかったのである。すなわち、由来のわからないような碑文しか作ることが出来ないというのが現状で、まだ力及ばずなのである。

 朝鮮人虐殺者の子孫が、父祖たちが朝鮮人を殺したことをはっきり告白し、さらに国家の責任を追及するという目標には、はるかに遠い地点に私たちは立っている。殺したということをはっきりさせないと、国家責任も問えない。まず民衆が告白しないと、それはできない。そして日本国家の虐殺責任を問うのが、民衆責任なのである。

 1923年当時、大正デモクラシーの時代だとはいえ、民衆は天皇の忠実な臣民だと思っていた。朝鮮人を殺すことはすなわち国家のためだという意識があったのである。しかし記録によれば、朝鮮人を殺した日本人は、日頃から彼らとはつきあいのなかった人たちだったという。日頃からつきあいがあれば、そういうことは起こらなかっただろうし、実際、知っている朝鮮人をかくまった日本人もいたのである。これは、知らないこと、交流のないことがいかに偏見を抱かせる原因になるかということだ。

 このような虐殺事件には当時の新聞やマスコミが、朝鮮人は怖いというイメージを作り出し、あおっていたことに遠因がある。マスコミの責任も大きい」

 このように話しながら山田さんは、用意された資料の「関東大震災時に虐殺された朝鮮人追悼碑の名称と碑文の一覧表」にもとづいて、20の碑の名称と碑文、その建立過程について言及し、そこから読み取れる日本人・朝鮮人・在日朝鮮人の意識のありかを語った。

 「追悼碑の建立過程の中に、日本人と在日朝鮮人の関係が現われてくる。碑をつくったのは日本人になっている場合でも、それをお膳立てしたのは朝鮮総連であったりする。日本の運動はその上に乗っかるというダラシないものであった。碑文の文章も日本人の主体性のあるものではない。虐殺主体が碑文に現われないのである。それは朝鮮人が書くべきではないかという意見もある。しかし虐殺された遺体を掘り起こして、日本人の神経をさかなでしたくない在日朝鮮人も多いのである。朝鮮人が書けないことを言う前に、まず日本人が虐殺主体について、明確に書かなければならないだろう。

 朝鮮人虐殺の理由とされている「朝鮮人の暴動」という事実はなかったということが、現在ではわかっている。すなわち当時の官憲は、起こっていない事実をデマとして捏造して朝鮮人虐殺に至らしめる発生源をつくったのである。これがなかったら虐殺は起こらなかっただろう。その意味では日本政府の責任は重い。そしてデマにあおられて、手を下した民衆と国家は共犯関係にある。この両方の責任を追及していくのがこれからの課題だろう」

 質疑応答の時間になり、山田さんの話しはますます熱を帯びた。おかげで終了予定時間を30分もオーバーしてしまったが、しかしそれは参加者にとってはうれしい誤算だったろう。

 質疑では、日本の戦後歴史学者の朝鮮認識について語られた。すなわち、幼方直吉、旗田巍、遠山茂樹、家永三郎、鹿野政直、そしてヤマケンこと山辺健太郎などについてである。彼ら戦後の歴史学者についての話は、実際に付き合いのあった山田さんでしか語れない、非常に貴重な証言であった。日韓連帯運動、政治犯釈放運動などの経験を踏まえた上で語られる戦後歴史学への言及からは、山田さんの研究者としての真摯さと、一時代を経験してきた者だけが持つ重みが感じられ、その態度には感銘を受けた。

 もちろん、山田さんの日本国家・民衆への責任追及の口調は厳しい。しかし、その辛辣さが不快感を与えないのは、そのお人柄によるのだろう。江戸っ子口調(?)の話しぶりはとても軽快で、そしてしっかりと事実に基づき、まるで歴史的現場に立ち会っているかのような臨場感にあふれたものだった。

 日本人と在日朝鮮人のあいだにある心の壁をどう乗り越え、克服していくことができるのかは、単に関東大震災下における出来事やその後の経緯だけではなく、日朝国交正常化交渉の途上にある現在、すべての日本人、在日朝鮮人が共同で取り組んでいかなくてはならない重要な課題だろう。そのような新しい未来へと希望をつなげていくための様々なヒントを、今回の話から多く受け取ることができ、とても勇気づけられるものだった。

 

●まとめ●洪 貴 義